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  「シーズンを終えて」 村井雄太選手インタビュー

  クラッシュボウル準決勝での敗戦からおよそ10日。待ち合わせ場所のビッグボックス前に現れた村井選手は、どこかすっきりしたような表情であった。最後の試合を終え、ビッグベアーズを引退した村井選手に、主将として過ごしたこの1年、そして、ビックベアーズでの4年間を振り返ってもらった。



 

村井雄太選手プロフィール
1982年6月26日生まれ 人間科学部4年
身長185cm体重128kg

――まずは、シーズンを終えられての率直な気持ちをお聞かせください。
 気持ちですか。うーん…。肩の荷が下りたというか。暇ですよ。

――肩の荷が下りた…。すごい意外な答えなんですけど。
 意外でした? もう何もないですからねぇ。引きずってもしょうがないんで。

――あの試合が終わったときはどんな気持ちでした?
 終えたときはもう真っ白になって、その日は全然実感が沸かなくて、何すればいいんだろうという感じでしたね。今はもう、べつにどうだという感想は無いんですけど。

――心残りというのは?
 それはもちろんありますよ。あの最後のパスが通っていればとか、それはもちろん思うことがありますけど、それは思うだけで、べつにどうこうという事はないです。

――準決勝の中央との試合、リードされていても最後の5分くらいは「もういけるぞ」という雰囲気がありありと伝わってきました。
 まさかあそこで負けるとは思っていないんで。もちろん逆転する気持ちで、最後の最後までやっていました。

――中央とは春のオープン戦で勝っているじゃないですか? こんな事を言ったら中央の選手に失礼かもしれないですけど、負けるわけが無い相手だと思うんですけど。
 でも正直、春の最初の試合のイメージがずっとあって、ぼくらが春そんなに準備して無くても勝てたんで、そんな強くないと思っていました。そのイメージとは全然違って、強かったというのはありましたね。

チーム再建期と言われたこの1年

――今年のシーズン7試合の中で、一番印象に残っている試合はいつのものですか?
 それは最後の試合ですね。やっぱり無茶苦茶悔しかったんで…。悔しかったです。はい。


 

大学最後の試合となった中央戦。

――試合後のハドルで「これは終わりじゃない、始まりなんだ」と仰っていた姿が印象的なんですけど、それは覚えてます?
 なんとなく、ですけど。ぼく自身1年のときからずっと試合に出てたんですけど、今までは波木さんのようなスターがいて、でも卒業されたことで、今年は再建期だと言われてたんですよね。監督も朝倉さんに替わりましたし。だから、これが新しい早稲田のスタートだと思ってやっていたんで、若手中心のチームで最低限のところまでは行けたんで。もし今年結果を残せなかったら、また昔の一部中堅の、中途半端な早稲田に戻ってしまうんで。目標を日本一と言って何ですけど、最低限の仕事、早稲田が強豪であるという証明にはなったかなと思います。

――その「再建期」と呼ばれた時期に主将を務められて、プレッシャーとかはなかったですか?
 でも、この時期が来る事は分かっていたんで。ぼくら4年になったら、上の人たちはみんな居ないんだぞと思ってやってきたんで。そういう心の準備は出来ていたんですけど。ただ…何をすれば良いんだろうというのはずっとあって、まぁ、何が出来たかもよく分からないんですけど。主将として、自分自身は何が出来たんだろう、という思いはありますね。
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(TEXT=田村拓実、PHOTO=横山真弓、近藤優美子、田村拓実)

 

 


 
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