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今季、長距離ブロック長を務めチームを支えた三輪真之選手(人4)。大好きだと言うHip Hopのリズムにのった軽快な走りが持ち味で、声の大きな明るい選手だが、3年前、大手町のゴールに13番目で倒れこむように帰ってきた姿は今も忘れられない。箱根では悔しい結果が続いている三輪選手だが、どのようにして悔しさを乗り越えてきたのだろうか。大学で陸上競技からの引退を決めている三輪選手に、これまでの箱根駅伝のエピソードや、最後の箱根に向けた想いをお話いただいた。





 
三輪真之選手プロフィール
  早稲田大学人間科学部4年
  星稜高・石川出身
  1万メートル自己ベスト 29分33秒21

――今シーズンを振り返って、どのようなシーズンでしたか?
 我慢のシーズンでしたね。関カレとかトラックシーズンは1年とか2年とか下の学年に頼るシーズンだったので。僕らは僕らでそれじゃいけないってわかってたんですけど、なかなか歯車がかみ合わないというか、空回りしてる状態で。最初はつらいシーズンだった印象を受けますね。けど9月の合宿終わってから、4年生の中でも記録とか試合の結果とか良い方向に向いて、練習とか引っ張ってる状態なので、良い方向に向かってきてると思います。

――今季は長距離ブロック長も務められましたが。
 合宿とかはほとんどキャプテンの竹澤(健介、スポ4)が不在で、僕が仕切ってたんですけど…元々僕はあんまりガンガン言えるタイプじゃないんですよ、下の学年を怒ったりとか。自分のキャラじゃないけど、怒らないとチームが悪くなってしまうし、そういう面で結構苦労しました。

――三輪さんご自身は、3000m障害への出場が多かったですね。  5000mや10000mだとタイム持ってないので、出る種目がないっていうのが正直な所で。あとは駒野(亮太、H20教卒、現・JR東日本、昨年度トラックシーズンに3000m障害で活躍)さん見てて、山を上って良い記録を出したっていうのがあって。僕も元々は山を上りたくて箱根目指してきたので、そこに何らかの形で繋げられたら良いなって想いはありました。

――関カレでは自己ベストを更新しながらも予選落ちとなり、悔しい結果となりました。
 悔しくないって言ったら競技者失格なんで(笑)。だいたいこれくらいのタイムで走れば予選通るだろうっていう甘い考えが走る前にあって、実際走ったら落ちてしまって。逆に自分の今の力はこんなもんだっていうのはわかりました。

――秋には国体にも出場されましたね。
 僕はもう今年で競技やめるので、(出身地の)石川県に何か残したいなと思って。結果的にはあんまりよくなかったですけど…。

――どうして大学で競技をやめようと思ったんですか?
 実業団でもチームの雰囲気とか練習のスタイルとかが競技力に影響すると思うので、自分の納得した所に行きたいなって思ってたんですけど、そういう所から声がかからなかったので。あとはもうモチベーションが保てないなと思って。大学までだと箱根っていう明確な目標みたいな、大きな舞台が用意されているので、それに向かってやりやすいんですけど、実業団だと何を目指していいのかわからなくて。実業団の合宿とかにも参加したんですけど、個人が個人の目標を持って、それぞれでやるっていうスタイルの実業団が多いんです。僕はそういうの合わないなと思って。竹澤クラスになるとオリンピックとかあるんでしょうけど、自分の中でそれはちょっと無理かなって。


 

   全日本インカレでも3000m障害に出場したが、 あと一歩で決勝に届かず、悔しさを残した。

――就活と練習の両立は大変だったのでは?
 逆にリフレッシュっていうか。その頃調子も良くなくて、競技場と寮の行き帰りしかしてない生活がマンネリ化していたので、外に出てリフレッシュになったかなと思います。

――では、最後のトラックシーズンを振り返って、納得して競技を終われますか?
 記録や結果は全然良くなかったけど、自分の中では区切りをつける事ができて、納得して終われる事ができました。

――竹澤選手の名前がお話に出てきましたが、6月に行われた日本選手権では、5000mに出場した竹澤選手を三輪さんが誰よりも大きな声で応援されていたのが印象的でした。
 そうですね、やっぱり一緒にやってきた友達ですし、応援するのは当たり前です。僕自身も1年の頃には彼にいろいろ助けてもらいましたし。僕が1年で箱根のアンカーを走ってミスしてシード権落とした時に、ちょっと自暴自棄というか、自分を見失ってた時期があって。そこで彼に叩きなおされたというか。僕が「もうやめたい」「もう(競走部に)いてもしょうがないわ」みたいな事を軽く口にしてしまったら、そこに彼が怒って「お前そんな簡単にやめられると思うなよ。やめるからって責任がなくなるわけじゃないだろ、いつかまた箱根走って、そこでちゃんとした走りして、ようやく責任が晴れるんだぞ。」って言われて。ちょっと気付いたというか。

――そんな風に言われて、その後気まずくなったりはしませんでしたか?
 その時は嫌でしたけど、でもやっぱりそのままで、自分も言われっ放しで終わりたくなかったので。なんだかんだで結構彼は人の特徴掴んでるっていうか。僕は結構言われると「なにくそ。」ってタイプなので、ああいうやり方は僕にしかやらなかった。他の人にはやってないと思います。そういう事もあって、彼には実業団進んでも頑張って欲しいなっていう気持ちがあって。いろいろ試合の応援とかも行こうかなと思ってます。

 

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(TEXT=神崎風子、PHOTO=五十嵐文子(WILLWIN OG)、岡崎聡)

 

 


 
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