長かったようで短い1年が終わりを告げようとしている。年末のこの時期に皆さんはどうお過ごしであろうか。大掃除をしたり、もちつきをしたり、今年の反省をしたり、来年の抱負を考えたり・・・・と忙しい日々を送っていることと思う。そろそろゆっくりしたいと思っている方もたくさんいるであろうが、そうはいかない。新年1月2・3日には箱根駅伝が開催される。これは見逃すわけにはいかない。
しかし、そういう私が箱根駅伝というものを意識し始めたのは、入学後、つまり前回大会の箱根駅伝からである。それまでは、正月といえば世間でよく言う「寝正月」であった。対照的に、私以外の家族は毎年のように箱根駅伝を観戦しており、しかもなぜか早稲田を応援していた。(私の家族には早稲田出身者はひとりもいないのであるが・・・)だが、何のめぐりあわせか私は2008年の春に早稲田大学に入学してきた。早大生のすべてが箱根駅伝に注目しているとは言えないのであるが、私は、「大学スポーツ」というものに魅了され、好んで今のサークルに所属している。私自身、愛校心というものはそれほど強いものではないと思っていたのであるが、これほどにまで箱根駅伝をはじめとする大学スポーツから「早稲田ナショナリズム」というものを強く植え付けられることになるとはまったく思ってもいなかった。そして大学に入学し、このサークルに所属することで箱根駅伝に対する視線というものも、かつての私とは比べ物にならないくらいに熱いものとなったことに正直、自分自身が一番驚いている。
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沿道に集まる箱根ファンたち。 2009年箱根駅伝より
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箱根駅伝を「大学スポーツ」の一大会として捉えると、「箱根フリーク」の皆さんにお怒りをかってしまうかもしれない。たしかに、わたしの家族のようにまったくの大学と関係のない人間までをも巻き込んでしまうこの大会は大学スポーツの領域というものを超えた何かがあるのかもしれない。毎年のテレビ中継はなかなかの高視聴率をたたき出すし、関連グッズの販売なども好調のようだ。そこまで人々を虜にする箱根の魅力とは何なのであろうか。少し奇妙ではあるが長年の箱根観戦者である私の父、M氏に話を聞いてみた。
Q.箱根の魅力って何なのでしょうか?
A.「やっぱり若者の頑張る姿かな。自分の若いころを思い出すっていうか、こっちにも勇気がわいてくるんだよね。大体20キロくらいの距離をひとりで走らなくちゃならない。しかも母校の証であるタスキをかけてね。それってすごいプレッシャーのかかることだと思うから、ついついこっちが感情移入しちゃうんだよ。途中で思いがけないアクシデントに遭っちゃったり、予想以上に好タイムで走れたりとか、この20キロの間には様々な山だったり、谷だったりがあって、一つの人生なのかもしれないね。とくにラストイヤーの4年生なんかにはとくに注目して見ちゃうね。」
かつては球児であった父だからこその感覚はあるのかもしれないが、だれしもが持つ、あの熱かった青春時代の思い出というものを思い出させてくれるのが箱根駅伝であったならば、若かりし頃の自分というのは出場している各校のランナーたちである。あの頃の自分と疾走している選手たちを重ね合わせてみているという方も少なくはないのではなかろうか。このようにして箱根駅伝というものは日本中を虜にし、現在では正月の風物詩として広く親しませることとなったのであろう。 また、今年の箱根駅伝をテレビを通じて観戦した私はあるスポーツ漫画の印象的なセリフが頭に浮かんだ。
「あきらめたら、そこで試合終了。」
まったくこいつは何を言っているんだと、半分あきれている方もいるかもしれないが、このセリフは駅伝というスポーツにぴったりのセリフなのではないであろうか、駅伝は走りを止めてしまうこと、あきらめてしまうことはすなわち「棄権」を意味する。もはやレースに戻ることは許されない。自分自身の棄権だけなのではない。チーム自体の棄権となる。もしかしたら、そういった意味で駅伝とは世界で一番過酷なスポーツなのかもしれない。だが、逆に完走した時の達成感というものも何物にも代えがたいものがあるのではないか。他人とのつながり、協調性を大事にする日本人にとってやはり、駅伝というスポーツは心にグッとくる何かがあるのだろう。
今年、運よく競走部の方々のインタビューに同行させてもらえる機会を得た。彼らは一様に箱根に懸ける意気込みというものを力強く語ってくれ、エンジに対する思いというものも聞くことができた。そして、部員に対する信頼の念も。2010年の幕開けはやはり箱根駅伝でなくてはならない。私は、このコラムが書き終わったら、地元に帰ろうと思う。箱根フリークたちが待つ、私の実家へ。
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