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                                箱根駅伝ミュージアム外観。ミュージアムからは箱根駅伝の実況が流れており、訪れた人を一瞬にして箱根駅伝ワールドへと導きます。
 |   近年、箱根駅伝はスター化している。「新・山の神」こと、柏原竜二(東洋大出身、現富士通)などはマスコミでも大々的に報じられ、今や駅伝ファンでなくとも知られる存在へと化した。
 いつでも取り上げられるのは速くて強い、話題性のある選手だ。
  それもそれでひとつの楽しみ方に違いない。ただ、「記録を収集していると別の視点から見ることもできる」と川口は言う。
 それは、這い上がってくる選手が活躍する姿だ。
 例えば、藤井一博(平9年早大卒)。香川県の進学校、高松高校から早稲田大学に入学、渡辺康幸駅伝監督(平8人卒・千葉市立船橋高出身)の1年後輩にあたる。69回大会から、渡辺―花田勝彦(平6年卒・現上武大監督)―渡辺―渡辺と繋いできた「花の2区」を、自身が4年生の73回大会に務め上げ、区間4位。名門出身の選手が数多く在籍する中で、進学校故の受験ブランクを経た彼の活躍に嬉しさを感じたと言う。
  そしてもう一つ。箱根駅伝ミュージアムに勤務するようになって初めて気づいたことがあった。記録では分からない、選手自身の精神論だ。
 箱根駅伝ミュージアムには、過去に箱根を走ったOBも数多く来館。
箱根でブレーキし、苦い思い出が残る選手であっても、「それを糧にして人生を生きてきた」と語る。
  「それを聞いて、自分のことのように嬉しく感じた。個々の人生において箱根駅伝の経験は大きいのだと」彼らと触れ合う中で感じた川口。最後にこう結論づけた。
 「箱根駅伝とはそういうことだと思う。」
 
  箱根駅伝の誕生の起点は、「世界に通用するランナーを育成したい」という金栗四三らの思い。しかし出場者全てがその道を辿るわけではない。
 箱根をステップに世界を目指す者、はたまた箱根を目指す者、
そして、箱根を夢見ながら出場が叶わなかった者。
 三者三様、異なる目標を持ちながらも「箱根」という道しるべを共にする。
 そしてどのような形であれ、大学時代の箱根がその後の人生の糧になり、バネとなる。
 だからこそ箱根駅伝には「清冽さ」がある―。
  趣味を仕事にした川口は、自身の「好きなこと」を行動化し、それを継続し続けてきたからこそ今がある。これは決して容易いことではない。記録を収集するのには膨大な手間もかかるに違いない。それにも関わらず、川口が長年箱根駅伝に携わっているのは、こうした学生陸上特有の面白さがあるからだ。
  その面白さをミュージアムの副館長として来館者に語ることもまた楽しみのひとつ。川口の話を聞けば聞くほど、箱根をより楽しむヒントが見つかること間違いなしだ。
 
 ※敬省略
 
                           
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                                「是非、箱根へ足をお運び下さい。数々の隠れたエピソードをお話します!」と、川口副館長よりメッセージを頂きました。
 |  <箱根駅伝ミュージアム>箱根駅伝往路ゴール地点・復路スタート地点の目の前に構える、箱根駅伝をテーマにしたミュージアム。各大会の名シーンを記録した貴重な写真、往年の名選手が愛用した品々、真剣勝負の裏側にあるさまざまなエピソードなどが展示されている。
 箱根駅伝ミュージアム公式サイト
 
 <川口賢次氏プロフィール>
 1950年生まれ、神奈川県小田原市出身
 1973年早稲田大学教育学部卒業後、JTBに就職。昨年より箱根駅伝ミュージアム副館長に就任。
 趣味は写真、沖縄散策
 ☆川口氏のコラム「襷に夢を託して」はこちら
 
 
 
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