2月24日、早稲田ラグビー蹴球部の追い出し試合が行われた。終始和やかに行われた現4年生と下級生が対する試合。これで4年生は引退となる。 激闘の日本選手権を振り返って、4年間を振り返って、主将垣永 真之介選手、坪郷 勇輝選手に今の思いをうかがった。
※このインタビューは2/24に行われたものです。掲載が大変遅くなり申し訳ありません。
垣永真之介主将
―追い出し試合が終わって
本当にやっと今引退したんだなーと。4年間振り返ると、寂しいなと皆が思ってると思います。
―下級生の方と今日戦ったわけですが
彼らには本当に頑張って優勝してほしいなと思います。
―この1年を振り返って
辛いこともありましたけど、本当に同期に支えられてやってこれたなと思います。
―一言で表すと「楽しい」と「辛い」どちらですか?
いやもう楽しい1年でした本当に。一瞬一瞬が大事で本当に楽しかったです。
―今年は主将が率先して盛り上げていると感じましたが、金副将と色々話し合ったりしましたか?
同期の皆が、4年生がしっかり頑張ってチームを作ってくれたと思います。
(金 正奎副将とは)そんなに特に話し合う事はなかったんですけど、お互い思ってる事は一緒だったんで。
―今年は「国立をホームにしよう」プロジェクトがありましたが
皆オフ返上して、頑張ってくれてそれであんな満員のところで試合をさせてもらえて本当に幸せですね。
―サークルの方と交流する中で何か新たな発見はありましたか
人と人との繋がりかなと。言ったら見ず知らずの人に協力してもらって、そういう縁というか人の繋がりがあるという、本当にそういうことを感じました。
―今年の早明戦の国立は違いましたか
人生で一番の臨場感と雰囲気と感動がありました。
―大学選手権についてお聞きしたいのですが、今年度帝京と4回戦って一度と勝つことが出来ませんでしたが
それほど、彼等が強くて彼等がいたからこそ僕等も成長出来て。本当に感謝すると同時に本当に良いライバルかなと思います。
―やりきった気持ちは
そうですね、全てぶつけたと思いました。
―ノーサイドの瞬間は何を思いましたが
何も考えてなかったです。もう頭が真っ白な状態で。
―「精神力」が今年度のテーマだと感じましたが
試合毎に自信をつけられました。それでも勝てなかったということはそれでもまだ足りなかったということですし、それほど大きな壁だったということですかね。
―日本選手権ではトップリーグのヤマハ発動機ジュビロと対戦しました。何が違うと思いましたか
もう全て、技術もフィジカルも。本当に勝てる気しませんでしたし、ちょっと迫った部分もありましたけどそれでも(対戦したヤマハは)全然余裕はありましたし、本当に相当大きな差があるなと思いました。
ーご自身トップリーグのチームに入られるわけですが、通用するという手応えは
全くないですし、これから努力して頑張っていきたいと思います。
―ご自身の強みは
トップリーグに入ったら強みも何もなくなってしまうので、また次のステージで見つけていきたいと思います。
―早稲田の4年間を振り返って
僕の人生の誇りだと思っています。
―心に残る試合は
全部ですね。全部僕にとって大切な試合です。
―今後は
チームとしての目標、からまた個人としての目標、それをしっかり見据えて頑張っていきたいと思います。
坪郷勇輝選手
―今シーズン全体を振り返って
去年と違って今年はチーム力があってキャプテン、副キャプテンを中心として一つの方向に意識がチームとして向いているということが強みでした。
―印象に残っている試合、プレーは
対抗戦の筑波戦です。2年連続で負けてたんで、早稲田の力を取り戻そうっていう気持ちで筑波戦に臨んで、サヨナラPGで勝つことができて、その試合で早稲田は変われたんじゃないかなと思います。プレーも筑波戦で、筑波戦になると調子がいいですね、僕は。いいタックルが入ったんですよ、対抗戦の筑波戦の時に。ジュニア・ジャパンなど代表経験のある選手(山沢拓也)に、大学人生で一番のタックルをして、自分の中でいいプレーというか、印象に残るプレーが出来ました。
―4年生になってから赤黒を着る機会を取り戻したと思うのですが、その要因は
布巻(峻介・スポ4)がCTBからFLにポジション変更して、絶対的な存在がいなくなってチャンスが生まれて、みんなが切磋琢磨していくなかで自分も強くなれたのかなと思います。
―CTB全員が赤黒を目指して切磋琢磨していくなかで、なぜ自分が着れたと思いますか
小さい身体を活かしたプレーですかね。低いからこそ素早く、粘り強く、低くの3つを意識してプレーしてたんでその点で飛び抜けて着れたのかなと思います。
―昨年の今頃はまた赤黒が着れると思っていたか
正直なかったですね。僕ずっとケガしてたんです。3年はケガばっかで、4年生になるときに監督に「CTBにお前の居場所はないよ。」と言われて、流石にやばいなと思いました。それで、そこから頑張って、Aチームになることができました。
―居場所がないと言われてからどのような取り組みをしていったんですか
小さいので、身体をその分強くしないといけないと思ったのでウエイトトレーニングとかを人よりも重い重量かというようなことを意識したり、グラウンド練習でも最後まで残って練習したり、個人的にもやったりしてそういうことの積み重ねでAチームになれたのかなと思います。
―四年間の振り返りをしていただきます。一番辛かったことと良かったことは
一番辛かったというか、辛かったのは毎年の合宿ですね。肉体的に限界まで追い込みますし、午前午後と練習があったりと休みもほとんどないので本当に限界まで追い込みましたね。良かったことは、4年目でAチームの試合にずっと出れたことですね。チームに貢献できたことが良かったと思っています。
―4年間で印象に残っていることは
1年生の時の落ち葉拾いですかね。早明戦とか、早慶戦とか、大学選手権の決勝とかの前にグラウンドをきれいにしないといけないという伝統があって、落ち葉を拾うんですけど、徹夜で拾ってというのがあったんでそれが一番なんだこれ?って思って印象に残ってますね。
―最後に4年間の総括を
1年生から3年生までは楽しいって感じがしなかったんですけど、4年生になってAチームの試合に出て他大学の世間的に評価の高い選手と対等に渡り合える環境になってすごくラグビーが楽しくなりましたね。4年生のときは本当に楽しかったです。
(TEXT=猪野史夏、磯綾乃OG、PHOTO=猪野史夏)
関連URL
早稲田大学ラグビー蹴球部公式サイト
エンジニアンズ(早稲田ラグビー応援集団)
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