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2002/12/12掲載 第7回

ア式蹴球部主将 佐藤勇吾

 再びの都リーグ落ち――。今季最終戦となった古河での法政戦、自動降格を免れるには8点差以上での勝利が必要だった。可能性はゼロではない。だが、後期勝ち星のない早稲田にそれだけの精神力は残っていなかった。1−3の敗戦。来年の都リーグ暮らしが決まった。

「申し訳ないです。謝っても謝りきれるものじゃありませんが」

 もちろん、佐藤一人の責任ではない。だが、都リーグに落ちて部を去る形になってしまい、主将として強い責任感を感じるのは当然のことだった。

悔しいよりも申し訳ない
佐藤勇吾 

最終戦からおよそ一月、東伏見で再び話を聞いた。

――落ちた時の心境は?
「とにかく申し訳ない。そればっかりで。悔しいとかよりも申し訳ないとか、そっちの方の気持ちが強くて。下の学年に対して。今は、あの時あーしとけば良かったっていうのがすごく多いです」

――何も考えたくない時期はあった?
「絶対に頭には浮かんできます。(終わってすぐは)サッカーのことはもういいや、とか思ってましたけど。最初のころは夢にもずっと出てて、一週間くらい」

――『あーしとけば良かった』っていうのは具体的には?
「監督との関係が一番大きい。最初から監督とぶつかって、密に話しとけば良かったかな、毎日、(監督の)部屋に行くぐらいすれば良かったかなっていう。練習環境も厳しくしようとはしてたんですけど、僕ら(4年生)自身にも甘えがありましたし。もう一回チャンスがあればと言いたい所なんですが」

流れが悪いのに変えられないもどかしさ
試合の模様 

――一番大変だった時は?落ちた時?
「落ちた瞬間もそうですけど、それまでの流れの悪い時も。流れが悪いのに変えられないもどかしさが。ミーティングも今ひとつうまく行かなかった」

――後期、悪い流れはどう変えれば良かった?
「あるんでしょうけど…、僕もまだそれは…」

――シーズンが終わって、4年生で話し合いをした?
「チームのこと話しあいしました。自分たちができなかったことを後輩に伝えてあげようと」

 一部復帰は叶わず、結果は最悪の都リーグ落ちとなってしまった最後のシーズン。何はともあれ、佐藤勇吾、主将としてのこの一年、ア式での4年間は幕を閉じた。

(TEXT=中村将之・PHOTO=鈴木英介)

 

 


 
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