一番重要な点はね、メダリストが教員になったんじゃなくて、助手、講師が徐々に強くなっていってメダルをとったっていうことなんだよね。自分の場合は大学卒業してから大学院いって、研究活動しながら学会発表しながら、論文書きながらチャンピオンの座を守ってモスクワから次のオリンピックまでできたわけで。
助手になったのが81年、それから5年後に講師になったわけだけど、メダルとったから昇格したわけじゃなくて助手の間に論文だとか学会だとか発表したことが認められたってことで。ソウルもバルセロナも講師だったし。外からチャンピオンをつれてきて教員にしたわけではないんです。最初から強かったわけでもないし。力比べするようなレスリングだったら勝てなかっただろうし、技だとかやわらかさだとかバランスで勝ってきたからオリンピックに出れたし銀メダルも取れたと思いますね。
柔道で秋田1になったのが高1。自らのスポーツの才能を感じ、秋田1から日本1になるのに一番近いスポーツを探した結果レスリングに辿りついたのだという。そして早稲田へ進学。当時トップレベルのレスラー、ましてや監督もコーチさえいない中で自分で練習を組み立て、天才的なレスリングスタイルで大学選手権三連覇、全日本選手権五連覇と日本レスリング界の頂点へと君臨。ボイコットで出られなかったモスクワを含めオリンピックには4度の代表、3回の出場、そして2回の銀メダルを手にした。しかしその道のりは怪我との戦いの日々でもあった。
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