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  スポーツの教壇から特別企画 太田章インタビュー
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 2002年度、早稲田のスポーツは熱かった。

 52年ぶりの野球部春秋連覇、ラグビー部13年ぶりの学生選手権優勝、アメフト部創部史上初の甲子園ボウル出場、各部の活躍は目覚しく、その追い風を受けるかのように大学側もアディダスジャパンとの業務提携など早稲田スポーツ強化に向けた経営方針を明らかにした。そして2003年度、スポーツ科学部が新生され、早稲田スポーツの歴史の扉が新たに開かれることとなり、今年も大学スポーツ界において早稲田イヤーになることが期待される。

 そこで今回のスポーツの教壇テーマは「メダリスト助教授に聞く早稲田スポーツ」。レスリングで2度の銀メダル獲得というトップアスリートでありながら学業、研究との両立を成功させ現在は人間科学部の助教授である太田章氏にアスリート哲学、大学スポーツへの思いを聞いた。

メダリスト助教授ではない?!

一番重要な点はね、メダリストが教員になったんじゃなくて、助手、講師が徐々に強くなっていってメダルをとったっていうことなんだよね。自分の場合は大学卒業してから大学院いって、研究活動しながら学会発表しながら、論文書きながらチャンピオンの座を守ってモスクワから次のオリンピックまでできたわけで。

助手になったのが81年、それから5年後に講師になったわけだけど、メダルとったから昇格したわけじゃなくて助手の間に論文だとか学会だとか発表したことが認められたってことで。ソウルもバルセロナも講師だったし。外からチャンピオンをつれてきて教員にしたわけではないんです。最初から強かったわけでもないし。力比べするようなレスリングだったら勝てなかっただろうし、技だとかやわらかさだとかバランスで勝ってきたからオリンピックに出れたし銀メダルも取れたと思いますね。

 柔道で秋田1になったのが高1。自らのスポーツの才能を感じ、秋田1から日本1になるのに一番近いスポーツを探した結果レスリングに辿りついたのだという。そして早稲田へ進学。当時トップレベルのレスラー、ましてや監督もコーチさえいない中で自分で練習を組み立て、天才的なレスリングスタイルで大学選手権三連覇、全日本選手権五連覇と日本レスリング界の頂点へと君臨。ボイコットで出られなかったモスクワを含めオリンピックには4度の代表、3回の出場、そして2回の銀メダルを手にした。しかしその道のりは怪我との戦いの日々でもあった。

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(TEXT=山下葉子、PHOTO=長友亮太)

 

 


 
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