WasedaWillWin.com
 


  

 前年アシキ蹴球部を関東一部リーグに引き上げた前主将徳永悠平(FC東京)をはじめとして、ア式蹴球部の中心的な役割を担っているのは、松橋優(スポ4)、兵藤慎剛(スポ3)、渡辺千真(スポ2)などといった国見高校出身の選手だ。試合ではそれぞれが自分の個性、長所を生かしたプレースタイルが印象的であり、自己分析力に長けている。このような選手がどのような練習環境の中で育ち、オファーのあったJリーグではなく、なぜ大学進学の道を選んだのか、高校時代の恩師でもある長崎県サッカー協会会長小嶺忠敏さんに教育理念、サッカー感を交えながら語ってもらった。





 
 島原商、国見高のサッカー部を指導し、通算して高校選手権、高校総体ともに六度の優勝を誇る。
 今年3月に定年退職を迎えたが、引き続き国見高校サッカー部の指導にあたり、現在は長崎県サッカー協会会長、Jリーグ参入を目指すV・ファーレン長崎スポーツコミュニティの理事長でもある。

――徳永選手が入った時には東京都2部という厳しい状況でしたが、どのような考えのもと送り出したのですか?
 最初はJにいくか大学に行くかでいろいろ迷ったんだけどね。でも、彼のお父さんは大きな事業をやっていて、親父さんに将来社長はどうするんだと聞いたところ、実際にどうなるかはわからないけど順調にいった場合にはこの子に後を継がせたいと。会社ではかなりの人数を雇うわけだから大学にいったほうがいいんじゃないかという理由でいかせましたね。早稲田を選択した理由というのは、その頃から選手を集めて強化しようという姿勢が見えたし、かなりのOBもいらっしゃって、担当者が熱心だからここにいれば立派に育ってくれるという期待感があった。早稲田は伝統があってOB会が結束していますよね。縦の繋がりがしっかりしたところというのは、将来において横の繋がりと同じくらい大事だからね。そのような理由でお預かりしていただいています。

――兵藤選手にもオファーが来ていたと思うのですが?
 僕はね、プロから3球団以上強いオファーがあってJでも即戦力だという選手ならば行ってもいいけど、一球団、二球団の弱いオファーっていうかね、どうですかっていう程度なら成績のいい子は大学にいったほうがいいんじゃないかと思うんですよ。大学に行って四年間ののちにチャンスをまっても十分だし、大学に行けば、Jリーグの指導者となったり、Jリーグで引退後もセカンドキャリアとして非常に行きやすいのではないかと。やっぱり若いときにこそ学ばなければいけないのだから。早い段階で学び、勉強をしっかりやっとくことのほうが、自分の人生の設計においては非常に大事なことですよ。


 
選手指導に熱がこもる

――兵藤選手のワールドユース(2005年オランダ開催)でのプレーを拝見してどのような感想を持たれましたか?
 プレーは見たけど無理なところで抜こうとしたりして、あの時はまだ己を知らなかったよね。世界で戦う時の自分の位置づけというものが。最終ラインで抜くならいいけどね、ハーフラインの手前くらいで簡単に抜こうとすれば、引っ掛けられてどーんとやられたりね。早稲田で戦うときの自分、つまりは関東大学1部で試合をするならぐんぐん抜いていけるかもわからんね。でも、世界のトップと戦うときは簡単に抜けないから、ボールを動かして、出来れば早いパス回しをしなければいけない。その辺のレベルでの自分の位置づけがわかっていなかったような気がするね。

――国見では選手に対してどのような指導を行っているのですか?
 選手で万能というのはいないんですよ。足が速くて高さがあってドリブルがうまくて戦術眼がすばらしくてリーダーシップがあって動物的な感覚がある、これらすべてがそろった選手というのはいないんですよ。その中で自分の持っているものを自覚しながら個性というか長所というのをいかに磨いていくかということが必要だと思うんですよね。そこから考えれば、徳永悠平というのは、頑強というかパワフルな選手でしょうね。ドリブルのうまい選手では決してないし、身体能力の高さから生きていますね。兵藤はどっちかというとドリブル型でしょうね。松橋優は突貫小僧的なスピードで行くほうだと思いますよ。渡辺千真は性格的にはおっとりしていますが、シュート力の強烈さでしょうかね。なによりも人より一歩抜きに出た個性というのが大事ですよね。

 

1/2

 

(TEXT、PHOTO=村山裕太)

 

 


 
WasedaWillWin.com HOMEへもどる