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――海外の生活に心配はありませんか?
ぶっちゃけすごいびびってますね(笑)。今はワクワク感よりドキドキ感が大きいかな(笑)。でも、英語に関してユースやジュニアなど海外に行ってわかったのは、主語、動詞とかじゃなくて単語だけで通じんのかなって思っています。氷持ってきて欲しいときも「アイス、アイス、アイス」って言えば(笑)。フランスという土地に関してはあってるかはわからないですけど、どこに行こうとやらなきゃならないんで。
――最終的にバレーにおいて指導者になるつもりなのでしょうか?
指導者というのは正直考えてませんね。今年の春高で東亜(高校)(中島選手の母校)が優勝したんですけど、正直あまりうれしくなかったんですよ。というのも、自分の代が優勝狙えにもかかわらず、決勝に行けなかったので悔しくて、心の底から喜べなかったんですね。自分が選手でやっていればすごい嬉しいと思うんですけど、監督としての気持ちとして考えるとなりたいという気持ちはありませんね。
――それでは最後にここ数年の目標を教えてください。
僕自身の目標としては、イタリアのセリエAが一番強いリーグと言われているんですけれど、最終的にそこでプレーしたいという気持ちがあります。そこで一年やるまではとにかく頑張ろうかなって。もちろん、僕の中では全日本に入りたいな、オリンピック出たいなっていう気持ちもあります。のびしろはまだあると思うし、絶対に届かないことではないので、限界を知るまでやりたいと思います。そして、自分のレベルというものを上げてみんなが喜ぶ選手になりたいですね。去年の早稲田みたいに知らない人にも拍手されるような、見ている人に何かを感じてもらえるような選手になりたいですね。
サイドへの転向、これは中島にとって悩みぬいた末の決断であったに違いない。悔しさを味わったからこそ、それをばねにして次のステップへと歩みを進めることができたのだ。「限界を知るまでやる」彼の決意はこの言葉から読み取れる。自分の道を信じ、海外の舞台で、そして日の丸を背負ってプレーしている彼の姿をいつの日か見たいと思う。
関連URL
男子バレーボール部公式サイト
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