趣味を仕事にできる人間はこの世界にどれ程いるのか。
おそらく一握りに過ぎないだろう。
芦ノ湖を望む箱根駅伝ミュージアムの副館長に昨年就任した川口賢次はその一人だ。 「趣味を仕事にしていていいねって言われるよ」と顔をほころばせる。
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川口氏が作り続けている箱根駅伝選手データ。述べ40冊にも及ぶそうです。中身が気になる方は是非来館を!
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この日、箱根駅伝ミュージアムに到着するなり、川口は数冊のファイルを見せてくれた。
「箱根駅伝エントリー選手データ」。
箱根駅伝出場大学エントリー選手16名の情報がその中には詰まっていた。
彼らの高校時PBから大学駅伝やインカレ出場履歴、そして箱根の距離適性を図ることのできる上尾ハーフや高島平の記録まで、その全てが大学ごと1枚の紙に凝縮されている。
驚くべきは知識量だ。
「○○出身の選手は…」
「この選手は今、…」
と全ての情報が川口の脳にはインプットされているかのよう。
しかもその知識には偏りがなかった。それもそのはず、主力級の選手のみならず、全大学全ての長距離部員のデータを毎年1年かけて収集しているのだ。そのデータから、箱根用に16名の選手を抽出してできる資料こそ、前述の「箱根駅伝エントリー選手データ」である。
この一目で見やすいデータ表、各メディアからも重宝されている。
この日も川口の元には某放送局から電話が。
「今年も完成し次第、データを送りますね。」
こんなやりとりが20年近くも続いているそうだ。
「選手データを自分ひとりで楽しむより、ラジオがより充実していた方が良い」と思い立ち、送付したのがきっかけだった。
日本テレビが中継を始めた時には、いても経ってもいられずに今までの資料を送付。
「番組の制作スタッフが1ヶ月かかっても集めきれなかったものを、どこの誰だか分からない人が郵送してくれた」という面白いエピソードが返ってきた。
川口にとって、箱根駅伝は切り離せない特別な存在だ。
自宅は小田原市。選手が走るルートへは、徒歩数分で行けた。
その土地柄、「箱根駅伝が来ないと正月が来ない」と物心ついた時には既に感じていたと言う。
まだ字が読めない程に幼い時でも、「エンジ(当時は海老茶と言った)は早稲田、赤は中央」という具合に、大学カラーから大学名を言い当てることができた。
東京・大阪間の駅伝があった小学生の頃。先生に提案して授業を中断、クラス全員で沿道に出て、選手を応援したこともあった。 駅伝好きは大学に入っても変わらない。入学した大学は早稲田だった。
当時の早稲田は予選会に出場することすら危ぶまれるようなレベル。
在学中の本選出場は2回にとどまった。それでも趣味のカメラを片手に沿道で応援団や選手の写真を撮り、友人のツテで早稲田スポーツ新聞にも掲載してもらったことは今でも良い思い出と振り返る。
「当時は知る人ぞ知る大会だったからね。」
まさか数十年後、箱根駅伝がここまでの人気を博すことになろうとは、川口も想像していなかっただろう。
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