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中村信一郎選手プロフィール
スポーツ科学部4年
高松工芸高校・香川県出身
自己記録 5000m:13分54秒09
10000m:28分52秒80
ハーフマラソン:1時間02分30秒
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――まずはトラックシーズンを振り返って。ご自身が掲げていた目標を教えてください
細かく分けると、まず兵庫リレーカーニバルで上位に入って、ユニバーシアードの代表争いに絡みたいということ。関東インカレでしっかりと得点をとってチームに貢献すること。それから全日本大学駅伝の予選会でチームがトップ通過できるよう引っ張るという目標がありました。どれも全部達成することができなくて、前半は迷っていたシーズンになってしまいました。
――4月の六大学では5000mで当時のベスト(14分05秒77)を記録されました
3月の合宿の調子からいけばもっと行けても良かったんじゃないかなという気もして、自己ベストだったんですけれど、満足はしなかったです。
――その後、ホクレンでは13分54秒09が出ましたが、この記録についてはいかがですか
ホクレンの深川の前に、メンタルトレーニングをしていただいて。そこから試合への持っていき方が以前よりもうまくなった気がしています。深川でも29分4秒でそこそこ走れて、調子もよかったので、5000では合えば13分45秒も出るんじゃないかなという気はしていたんですけど。そこまで甘くはなかったですが、一応初めて13分台を出せたことはよかったと思っています。
――メンタルトレーニングというのはどのようなことをしたのですか
いちばん効果を実感しているのは呼吸法と、一日の終わりに自分がひとから受けた恩や嬉しかったこと、あと自分が頑張ったことをノートに書いて、感謝する身体をつくるということです。
――その方法はどなたから習ったのですか
相楽監督の同級生の方がそういうお仕事をされていて、たまたま関東にいらっしゃるということで、お願いして教えていただきました。
――それは全員で?
いえ、希望者だけです。最初は僕と佐藤淳(スポ3)がやってもらって、良い感じに走れてきているので、他の選手もやってみたら良いんじゃないかなとは思っています。
――メンタル面で何か思うところがあったということでしょうか
そうですね。今までは試合で走れなかったら、「調子が悪かった」とか「走っていて足が重くなった」という風に言い訳していたんですけど、そうじゃなくてただ自分のメンタルが弱いだけなんじゃないかと思うようになって。相楽監督に相談したところ、監督もそう思っていたということで、ちょうど来てくださるときにお願いをしました。
――9月の全カレでは28分台で5位入賞でした
対校戦でまだ結果を残したことがなくて、とりあえず8位入賞を目標にしていました。8位が見える位置でずっと進めていたんですけど、レース中は冷静に走れて、気が付いたら5位まで上がれたという感じです。順位が必要な試合で5位に入れたことは自信にもなりましたし、その上で自己ベストも更新できたことは良かったと思います。
――今年はコンスタントにレースに出場されていましたが、怪我などはありませんでしたか
そうですね、大きな怪我はここ2年半くらいしていないです。ちゃんと毎週毎週治療に行ったりだとか、寝る前に自分でマッサージローションを使ってマッサージしたりしているということが怪我予防につながっていると思います。それを見て、周りにも取り入れてる選手が増えてきた気がするので、良い影響が与えられているのであれば嬉しいなと思います。
――最終学年となり、変化したことはありますか。
ひとつ上の先輩には、「4年生だからこうしなきゃいけない、ということはあまり考えない方がいいよ」と言われていたんですけれど、結局最終学年になって、チームを引っ張らなきゃいけないとかっていう思いはやっぱりありました。そこで自分よりも周りを気にしてしまう日常になってしまって、気持ち的に苦しい部分などはありました。
――チームを背負うプレッシャーがあった
そうですね。特に意識はしていないんですけれど、一番上としてチームを引っ張る、まとめあげるという責任は感じていました。そして今年のチームが3大駅伝優勝を目標に掲げているので、それに向けてチームを持っていくのが4年生としての僕の使命なんじゃないかなとは感じていました。
――4年生の中で「こうしていこう」というような話などはあったのですか
4年生全体としては、今年はじめてチームのスローガンを考えました。あとトレーナーさんを呼んで経済性のある動きを教えていただいて、故障をなくしていこうという働きかけなどをして、そういう部分は今までと違うところかなと思います。
――スローガンというのは
「新しい早稲田へ、泥臭く、一歩でも前へ」です。
――中村選手自身が、入部当時と比べて成長したと感じることはありますか
入部したときは練習についていくので精いっぱいで、1年生の秋にはアキレス腱を痛めて駅伝シーズンを棒に振ってしまいました。その経験から怪我をしない脚づくりをしようと考えて、そのための走り込みを続けてきた結果、ずっと怪我をせずにこれています。1年の時の怪我があったからこそ今の僕があるとも感じていますし、正直同級生の活躍には焦りも感じましたけれど、長いスパンで見ると焦らずにじっくり脚づくりしてきたことは良かったのかなと思います。
――様々な経験を活かすのが上手なのですね
駅伝でも、最初に出た2年時の出雲駅伝は本当ぼろぼろで。でもそういう経験があったからこそ、原因を考えて克服できるようになってきていますし、最初からうまくいっていたら今は浮かれてしまっているんじゃないかなという気持ちもあります。最初に経験したあの悔しさが、今頑張る糧になっていると感じています。
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