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  九鬼巧選手特別インタビュー、最終回となる第4回目は、ロンドンオリンピックを振り返っていただきました。
リレー日本代表としての初経験、そして夢舞台で補欠に甘んじた現実。
九鬼選手はどのように感じていたのでしょうか?
未来への抱負とともにご覧ください。





 
九鬼巧選手プロフィール
  スポーツ科学部2年
  和歌山県・和歌山北高校出身
  自己記録  100m:10秒23
        200m:21秒21

――日本選手権の翌日がオリンピック代表選手の発表でしたが、リレーメンバーに選ばれるかなというドキドキはありましたか?
 ありました。実際に日本選手権の表彰式前に陸連の方から呼ばれて、「選ばれるかもしれないから」っていうのは聞いていて。でもリレー合宿とか陸連の合宿には来ていないので、「選ばれたとしても補欠になるかもしれないよ」というのは聞かされていました。
 周りの人からも「行ける行ける」って言われていたので、本当は(自身の競技自体は)2日目で終わりだったんですけど、あとは200mの結果次第と言われていたので気になって急きょ3日目も競技場に出向きました。なのでドキドキ感はありましたね。

――代表に内定された時はどのような気持ちでしたか?
 もう嬉しかったですね。本当にここからオリンピック行くのかなというのが信じられなくて。

――周囲の方々の反応は?
 電話とかもすごくかけてきてもらって、本当に嬉しかったです。 

――そこからはリレー合宿で忙しい日々だったと思います。合宿を通じて気づきは何かありましたか?
 そうですね、本当に決まってからは忙しい毎日でしたね。帰ってきてすぐにナショナルトレーニングセンターに行って採寸をしたりオリンピックのことが絡んできたりして、そこから軽い合宿もあって。その時はリレーの出場がまだ正式に決まっていなかったので、試合のために大阪選手権にも出向きましたし、そこからまた合宿をしていて早稲田を離れていたので、さっきも言ったんですけど、先生がいない中で練習するっていうのは本当に難しいと感じました。

――数々の合宿を経てロンドン入りされましたが、オリンピック独特の雰囲気はいかがでしたか?
 もう僕の中では「すごい」しか出てこなかったです。海外には何回か行ってますし、ユースであったりジュニアであったり各世代の世界選手権は出てきましたけど、それとは全然違いましたし、街全体や関わっている方の規模も全然違ったので、すごいとしか出てこなかったですね。

――オリンピック期間中はどなたと行動されていたのですか?
 山縣とすることが多かったですね。同部屋だったので、一緒にお買いものに行ったりもしました。山縣が100の予選とか準決勝の時には、選手村にディーンさんが来られたので一緒に行動したりしましたね。

――同じ大学からはディーン選手が、同種目では山縣選手がいるということで、かなり心強かったのではないですか?
 そうですね。ディーンさんも同年代の山縣もいたっていうのは僕の中では本当にすごく良かったんじゃないかなと思います。

――山縣選手の100mの活躍をどうご覧になりましたか?
 山縣とは部屋で試合前までずっと話していて、緊張している姿だとか悩んでいる姿だとかそういうのをいっぱい見ていたので、レースを見た時には悔しさというより、すごいなという気持ちがありましたね。

――山縣選手とはどのようなお話をされていたのですか?
 色々楽しい話が多かったんですけど、中には真剣な話もいっぱいあって。さっき言った「自分の走りができたその先に記録とか順位がついてくる」っていう話は山縣に教えてもらいましたし、「自分の走りを貫き通さないといけない」だとかそういうことを共有し合って教えてもらった部分が大きかったです。

 

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(TEXT、PHOTO=矢野真由実)

 

 


 
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