挫折と再起
中心選手としての、自覚と風格を備え始めた3年目。だが、横山は左足首をねん挫し、2軍からのスタートを余儀なくされた。2年間で順調に成長を遂げてきた横山であったが、ミレニアムシーズンは、不安を抱えたままの幕開けとなった。この年のワセダは、スタートこそ歯車がかみ合わなかったものの、夏場の天皇杯予選では社会人チームを下すなど、秋のリーグ戦に向けて上昇気流にあった。そして、強いワセダ復活を期す、3シーズン目の秋が始まった。3度目の正直・・・。「今年はいけるんじゃないか」。周囲の期待は大きかった。
だがグラウンド上に展開されたのは、エンジの躍動ではなく、黒星を重ねるごとに苦渋に翳りを増していく、イレブンの表情だけだった。その中に、横山の顔もあった。何をやってもうまくいかない。FWなのに、点が取れない。責任を感じていた。「僕が点を入れれば勝てるのに・・・」試合が終わるといつも、うわ言のようにつぶやいていた。
リーグ戦も後半に突入し大詰めを迎えても、以前チームは低迷を続け、自身もゴールから遠のいていた。だが、このあたりから横山の表情に変化が見え始める。「形にこだわったり考えすぎたりして、強引さがなくなっていた。自分らしくやればいい。「やるべきことはわかった」結果が出ない暗さの中に、何かが吹っ切れたような穏やかな笑顔がのぞいた。
1、2年と結果を残し、3年目の横山には欲が芽生えていた。「もっと綺麗に点を取りたいと思った」向上心、それはアスリートとして当然の欲求であろう。だがこの思いが横山の歯車を狂わせていた。勝てないチームと、期待に応えられない自分。最悪の状況の中で見つけたものは、自分らしさだった。形にこだわらない泥臭いサッカー――。けがに始まった長いトンネルの出口は、もう手の届くところまで近づいていた。
転機――その先にあるプロ
2000年11月23日、西が丘の芝生の上に突っ伏し嗚咽する、ワセダイレブンの姿があった。部史上初の東京都リーグ降格決定。それは関東の名門ワセダが、関東の枠で戦う権利さえも剥奪された瞬間だった。横山も、泣き顔を芝にうずめたまま、しばらく立ち上がることが出来なかった。
オフに入り、以前参加した大宮アルディージャの練習に再び参加した横山は、大宮に自身を受け入れる体勢のあることを知った。悩んだ。本当に悩んだ。いろいろな人に相談もした。様々な意見の中には、あと1年大学でやってからでも遅くはないのでは、とのアドバイスもあった。しかし来年また同じチャンスがあるとは限らない。「今しかないと思った」横山の中で、早稲田大学ア式蹴球部退部と、大宮アルディージャ入団の意志が固まった。
ワセダは今年、関東大学リーグ戦復帰を至上命題に戦う。本来ならば最高学年として、またエースとしてけん引するはずのチームを離れる。だが、仲間達が勝つことを信じている。みんなも頑張れと言ってくれた。あとは前に進むだけ。弱肉強食のプロの世界、何があっても立ち向かって行く決心は、もうついていた。
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