98年の秋の早慶戦を記憶しているのは、最早4年生だけ。時の流れを感じる。
3年生エースの藤井(現・ヤクルト)が故障で登板出来ず、鎌田(現・ヤクルト)が1人で投げて、投げて、投げ続けた98年の六大学野球。春の早慶戦でも2連敗、そして前日の第1戦でも勝利を収め、意気上がる慶応サイドを尻目に、1塁側応援席には秋風が吹いていた。「慶応に勝って欲しい…」当時1年生だった僕達今の4年生は、慶応に勝つ早稲田を見たことが無かった。その時初登板した、背番号14。
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↑記者会見で抱負を語る江尻投手
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江尻慎太郎。仙台二高を卒業後、早稲田のユニフォームを身に纏い、神宮の舞台で活躍することを夢見つづけ、2年間の浪人生活の後でその夢を叶えた男は、我々の夢も叶えてくれた。1-0の完封勝利。湧き上がる応援席で、僕達は「早稲田の栄光」を聞き、嬉し涙を流した。
僕達は新しいエースの誕生に沸きかえった。しかしその後、神宮で江尻の姿を見ることは無かった。相次ぐ故障に悩まされ、登板はしてもかつての栄光の面影を見ることは出来なかった。そして藤井が復活し、鎌田が成長を遂げた翌年、江尻の居ない早稲田は優勝を遂げた。そして藤井がプロ入り。鎌田と共に早稲田を支えたのは、躍進著しい和田(人3)だった。僕達は江尻の復活に思いを馳せながらも、何時しか彼のことを忘れ、新しい早稲田に声援を送るようになっていた。
そして今年。苦境に喘ぐ早稲田に、江尻が帰ってきた。max147キロの速球を武器に、打者から次々と三振を奪う姿は、かつての江尻そのままだった。そして今年の秋の早慶戦。1敗を喫しながらも連勝で慶応に春の雪辱をし、同時に慶応の完全優勝も阻止した。江尻が投げて、早稲田が勝つ。僕達は4年間の時を経て、再び江尻と共に「早稲田の栄光」に身を委ねた。
「160キロを投げられるピッチャーになりたい。1人のピッチャーとして、自分がどこまで成長出来るか、挑戦してみたい。」プロ入りを前に江尻はそう語った。もっと成長して欲しい。藤井は今年、プロで最多勝を取った。それよりも大きなピッチャーに成長して欲しい。そして4年前、僕達に与えてくれた感動を再び見せて欲しい。来年東京ドームに登板するは、背番号27――。
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