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ア式蹴球部、藤原監督インタビュー (2/2)
   TEXT=神原一光

−監督としてのポリシーは何ですか。

Jリーグでも学生でもどこのチームに行っても同じことで、「藤原義三」という人間を選手達にどれだけ理解させるかが大切だと思っているよ。指導方法や人間性、サッカーに取り組む姿勢、サッカーに賭けている姿を僕がしっかりと見せてやらなければいけないと思う。特に学生に大事なのは姿勢、サッカーに取り組む姿勢だから、僕が見せてやらなきゃ。若ければ若いほど、そうやらないとついて来ないと思う。寮に入って寝食を共にすることもその一貫なんですよ。

−語り口など監督からは優しい印象を受けますが。

そう?(笑)できないことは徹底的に怒るよ。ピッチの中では選手達は嫌がっていると思うよ、しつこいからね(笑)。ピッチの中ではお互い興奮しているから、終わった後で冷静になった頃アドバイスするとか、みんなの前で注意したり、個人的に呼び出して注意したりしています。怒る”テクニック”は持ってますよ。これは指導者としての最低条件です。”怒り方”ってあるんだよね。ピッチの中では言葉を短くしか言わないから、その裏を理解して欲しいね。「監督が何を言いたいのか」ね。だけど、興奮していると言葉尻りで判断しちゃうからさ選手達は。だから冷静になった時に僕がきちんとフォローしてあげないといけないと思います。でもね、試行錯誤してるんですよ。そこまでやる必要無いのかなとか、でもやってやらないかんのかな、ってね(笑)

−最後に、早稲田スポーツへのメッセージをお願いします。

藤原義三(ふじわら・よしぞう)
1955年(昭30)3月2日生まれ。77年(昭52)教育学部卒。大学卒業後、ヤンマーに進みプレー。ポジションは守備的MF。現役引退後、会社勤務を続けるが、93年(平5)Jリーグ参入を目指すセレッソ大阪(現J1)のコーチに就任。99年(平11)まで務める。00年(平12)横河電機(JFL)監督を経て、01年(平13)本学初のプロ監督に就任。Jリーグの監督資格であるS級ライセンスを持つ。

 

いま、早稲田は閉塞してるよ。官僚化している。例えば、僕が監督就任の条件として「寮に入りたい」と言ったら最初断られたもの。(注:藤原監督は現在、体育局の選手達の住む早稲田大学東伏見紺碧寮で学生と一緒に生活していらっしゃる。筆者も4年間住んでいる。)それは規則だからって。僕が寮に入ることによって、長い時間選手と一緒にいられるし、個別に話す時間もとれるし、連絡事項も伝わりやすいし、ミーティングもできる。生活もいくらか改善できるだろうし、何が悪いことあるのって。明らかによくなることを言っているんだから、規則なんて法律じゃないんだから変えなければだめだよ。そういった官僚的なところが、ワセダスポーツを弱くしている大きな理由だと思うよ。

−伝統あるゆえに動きづらいと言うことでしょうか。

そうなのかな。僕らの時は物凄い自由だった感じがしたけれどね。自分達の発言が、ある程度反映された気がする。それで強くなって早稲田スポーツの全盛期が来て…。でも、そこで大学はあぐらをかいたんだろうな。今はすごく官僚的な気がするし、選手のことを考えていない。一番大事なことを置き去りにしていると思うよ。こんなこと言ったら大学に怒られるかもわからへんけど、正直そう思うよ。決して選手だけの問題じゃないよ。

藤原義三は、24年ぶりに「選手」として青春を捧げた思い出のグラウンド「監督」として戻ってきた。「現役の時にここに戻ってくるかって?まさか(笑)これも縁だよ。今度は恩を返さないとね。」そんな気さくな藤原監督と、また寮の食堂で朝食を御一緒になりたいものだ。

 

 




 

 
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