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   史上最高の快挙〜日本一密着ドキュメント
    TEXT=編集部

写真・優勝が決まって泣く部員達。



 早稲田にとって「王座日本一」は悲願だった。男子は8年間優勝から遠ざかった。女子は創部以来この舞台に立ったことすらない。

 「筋書きのないドラマ」。人はスポーツの名試合を決まってこう呼びたがる。しかし、もしドラマに筋書きがなかったら、訳がわからず面白くない。日頃からそう思っている私にとって、スポーツほど「筋書きが存在する」ドラマはない。「運命」という名の脚本家が描くその筋書きは「誰も知ることができない」。その点で、スポーツは「筋書きがない」と表現されるのかも知れないが…。

 今回の全日本大学対抗テニス王座決定試合は、早稲田大学庭球部が描いていた「男女アベック日本一」というシナリオを実現させた、まさに「筋書きのあるドラマ」だった。それもドラマティックでドラスティックに



男子

長年の悲願「日本一」への軌

 

準決勝(対亜大戦)、ダブルスに勝利した神原(写真右)・小林(同左)組。

 80年代、大学テニス界は早稲田一色だった。王座5連覇、3連覇という偉業を成し遂げ、何人もの選手たちがプロ、世界へと目を向けた時代だった。90年代に入ると、亜細亜大学、そして昨年まで5連覇中だった近畿大学の時代になる。「東の亜細亜、西の近大」。いつしか早稲田の名は「覇者」から「名門校」に成り下がっていた。「万年全国3位」。日本一の「ビジョン」はいつしか「夢物語」へと色褪せていった。

 今年こそ「日本一」。そう言い続けて4年。ついにこの瞬間が来た。3年前に進出した決勝の雰囲気を知るものは、4年生のわずか6人しかいない。「プレッシャー以上に楽しみだった。こんな気持ちは初めて」(主将・小林真吾)。2浪して入部して来た手嶋剛(商4)は決勝前「これで4年間のすべてが決まる」と語った。みな押さえ切れない気持ちがあった。

 6連覇を狙う近畿大学との決勝戦、ダブルスを「2勝1敗で折り返せばいける」と踏んでいた早稲田の計算は崩れた。1勝するにとどまり、近大へ流れが傾く。しかし、早稲田はシングルスNO.6、5、4の3試合を全てストレートでものにする。カギだったのは神原一光(人4)と近大のルーキー末田とのN0.4対決。「決勝がテニス人生最高のパフォーマンスだった」と語る神原が渾身のストレート勝ちを収め、早稲田に流れを引き戻す。しかし、NO.3、2を近大が奪い返すと流れは再び近大へ。4勝4敗のタイで最終戦へもつれ込んだ。


最終戦の大勝負、感動の瞬間へ!

 

決勝(対近大戦)、試合前の円陣。

 シングルスNO.1対決。宮尾祥慈(人2)と李興雨のエース対決は、まさに死闘だった。この夏のインカレ準決勝では李がストレートで宮尾を下している。しかし、この日の宮尾は明らかに違っていた。「みんなと一体になれた」。第1セットをタイブレークの末落とすものの、続く第2セットをタイブレークで取りかえす一進一退の攻防。両校の選手、応援がコートサイドに陣取り、固唾を飲んだ。どちらがサービスキープの均衡を崩すのか、勝負の分かれ目はブレイクできるかだった。しかしながら、先にそれを許してしまったのは、宮尾だった。

 ファイナルの第3セットの第2ゲーム、デュ−スの末にサービスをダウン。ゲームカウント0−2となり、続く第3ゲームもカウントは0−40。明らかに、勝利の女神の傾きが早稲田陣営には手に取るように感じられた。勝利か敗北か、勝負の分水嶺、その頂に立ちつくした宮尾。誰もが思いもしない、すべてのドラマは始まろうとしていた…。

 その時だった。開き直った宮尾が攻め立て、デュ−スへと持ち直し、逆転のブレイクバック。ゲームカウント1−2。寸出の所で早稲田は踏ん張った。ゲームがクライマックスになって、大きく動いた。

 第3セットに入ったころから、宮尾はレシーブダッシュを試みていた。相手のリズムを変える作戦、李の強烈なストロークを封じるための最後のカードを切った。ひたすらネットに出て勝負をかけ「プレッシャー」という名のボディーブローを打ち続けた。それでも、李の鋭いパッシングが的確にコートに刺さっていく。



「日本一」の立役者、エース宮尾祥慈選手(優勝決定後コートから出てくるところ)。

 

 このセットから、ベンチには土橋登志久コーチ(平1卒)の姿があった。早稲田には、「すべて学生で」という伝統があり、監督、コーチがベンチに入るということは、ベンチワークをするサポーター部員の誇りのためにも、学生主導のと謳うチームのためにも、どんな場面でも許されることではなかった。他校は監督やコーチがベンチに入り戦術指導をする中で、早稲田はあえてそれをしてこなかった。しかしながら、勝負が最終局面を迎え、ついにタブーを破った。「監督、コーチを含めてひとつのチーム。後悔はしたくない」。最高学年の「決断」だった。その決断をOBも受け入れた。日本一への万策は尽くした。

 第7ゲーム、ここに来て李のパッシングに陰りが見え始める。明らかにリズムが狂いだした。宮尾、渾身のブレイク。ゲームカウント4−3と早稲田がついにリード。テニスほど、心理状態が反映されるスポーツはない。 自分がリードすれば相手は開き直り、リードされれば、なぜか相手が畏縮し出す。第8ゲーム、ブレイクバック直後のサービスゲームほど、精神状態を揺り動かされるゲームはない。「勝とうと思うな、思えば負けよ」どんな状態でもこの言葉通りを徹底できる選手が強い。宮尾はそれを忘れなかった。このゲームをきっちりキープ。5−3と引き離した。

 第9ゲーム、ついに、ストローク戦で宮尾が李を押し出した。そしてマッチポイント。「必死で涙を堪えても止められなかった」と主将小林真吾。李のフォアのパッシングショットがアウトすると、宮尾の雄叫びと共に早稲田は歓喜に包まれた。部員全員、誰もが抱き合い、そして泣いた。夕焼けは、早稲田の涙に包まれた。


最上の喜びを分かち合う瞬間。

 坂井利郎監督(昭46卒)就任3年目の栄冠。「みんな本当によくやってくれた。今年はなんとしても優勝させたかったし、自分としても絶対に優勝したかった」。デ杯、フェド杯代表監督歴任、「有明の奇蹟」と語られる伊達公子、シュテフィ・グラフ戦など数々の名勝負に立ち会って来た監督も泣いた。普段は厳しい辻季之コーチ(昭61卒)の号泣に、部員の涙も最高潮に達した。「みんな、本当にありがとう」。宮城淳部長(人間科学部教授)退官の年に、日本一。「日本一の瞬間、みんなで抱き合って泣けるようなチームを作りたい」小林が主将就任当初から言い続けて来た、この思いが現実となった。最高の花道を果たせたことは、部にとって最上の喜びだったに違いない。

 早稲田大学庭球部、男子8年ぶりの日本一はこうして生まれた。



女子のドキュメントに続く!

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