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竹澤健介選手プロフィール
早稲田大学スポーツ科学部4年
報徳学園高・兵庫出身
5000m自己ベスト 13分19秒00
1万m自己ベスト 27分45秒59
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――北京五輪出場内定おめでとうございます。率直なご感想を聞かせてください。
ありがとうございます。良かったです(笑)。
――日本選手権でのレースから正式な内定発表まで少し時間がありました。周りでは「内定確実」の声も出ていましたが、ご自身はどのようなお気持ちでしたか?
もしかしたらって事も、あり…得るのかどうかわからないですけど(笑)、内定って言われるまでは落ち着けなかったってのはあります。なので決定が出た時にはちょっとほっとしました。
――選考レースとなった日本選手権についてお聞きします。箱根駅伝後、初試合が最も重要な選考レースとなりましたが、緊張されましたか?
緊張と言うよりは、開き直ってた部分があります。レースの始まるまでは、どうしても不安とかいろんなものがありましたけど、最終的には開き直れてたというか。
――以前、後輩の中島賢士選手(スポ2)は「竹澤さんはレース前緊張しない。」とおっしゃっていました。
もちろん集中はしますけど、それを緊張と言うのか…。緊張もしてるんでしょうけどそれよりも、自分に対する期待感の方が高まってきたら「走れる」と自分の中では思っているので。良い緊張感を持てれば良いなと思ってます。
――レース展開について、走る前にはどのように考えていましたか?
もうとにかく(松宮隆行(コニカミノルタ)に)ついて行って…。レース展開の指示も「ついて行け」というものだけで他になかったので、自分なりに考えてレース運びしたんですけど…。
――ロングスパートが得意な松宮選手が前に出た際も竹澤さんはついて行かれず、見ている方はハラハラしました。ご自身はどのようなお考えでしたか?
前を見て、距離を見計らって、どこまでならなんとかなるかなっていうのを考えて走ってました。練習もできていなくて中間疾走ではどうしても劣るというのは自分の中であったので、あのようなレース展開になりました。
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日本選手権5000mのラスト400mは56秒という驚異的なタイム。
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――結果、ラスト1周の素晴らしい追い上げで2位に入られました。ラストスパートと言えば、昨年の全カレ5000mのスパートも印象深いのですが、今のご自身にとってラストスパートは武器ですか?
そうですね、余裕がある時はいけますが、まあ余裕のある時ばかりではないので…。でも集団や競ってる時だったら負けないという気持ちはありますし、それだけの自信とまでは言わないですけど(笑)、武器にはなりつつあるのかなという気がしてます。
――試合後、松宮選手と一緒にダウンされていましたね。 ドーピングコントロールだったので、早く出ないかなという話や、頑張りましょうって話をしてました。(松宮選手は)意識も高いですし、僕よりもずっと経験豊富なので話していてすごく勉強になるし、「勝ちたい」という気持ちにもなりますし。すごく刺激になります。
――日本選手権に至るまでについてお聞きします。箱根駅伝前には坐骨神経痛の悪化がありましたが、箱根駅伝やその後の北京五輪に対する不安などはありましたか? 正直箱根に関しては、出れる状態ではなかったと思いますし、ほんっとに無理矢理走ったような状態だったので、ゴールできるかっていう不安感があって。その時にはまさか日本選手権まで長引くとは思っていないので、箱根に対する不安だけで、まぁ治ってからっていう風に考えてたんですけど。
――箱根後、練習に復帰したのはいつ頃でしたか?
復帰は、5月の頭くらいにジョグを始めたくらいで。
――それまではどのように過ごされていたんですか?
それまでは何もしてないですね(苦笑)。股関節を動かせない状態だったので、自転車もこげないし、何を出来るって言ったらウェイトトレーニングだったんですけど、体が大きくなりすぎて体重が3,4キロ増えちゃってちょっとやばいなって思ってました。
――では全く走っていなかったんですね。
全く走ってないですね。歩くのも状態的には良くなくて、何もできないので。それが一番精神的にはきつかったですね。(オリンピックは)4年に1回の試合ですごく思い入れも強いので、練習できないのはすごくつらかったですね。
――焦りもありますよね?
そうですね、5月からポイント練習を始められれば自分の中で間に合うって意識はあったんですけど、まさか5月に入ってもポイントやらずにのんびりジョグやってって感じだったので、やばいかなっていうのはすごくありました。
――ポイント練習はいつ頃から?
ポイント練習は、関東インカレの10日くらい前からやってたんですけど、関カレの時にダメになって、その後3週間くらいですかね、もう何もできなくて…。
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