100キロ歩くということ。それは自分の限界点を3度更新するということ。100キロ歩くということ。それは西武新宿線がいらないということ。100キロ歩くということ。それはこういうこと・・・
5月17日(土)〜18日(日)にかけて第41回本庄〜早稲田100キロハイクが行われた。筆者もこれに参加した。これはその想像を絶する100キロという地獄を切々と綴った記録である。
ZONE1 3.4キロ(APITA〜本庄高等学校セミナーハウス)
スタート地点は埼玉県本庄市内のAPITA駐車場。集まったのは早稲田選りすぐりの馬鹿者、総勢1000名。それぞれ思い思いの嗜好をこらした仮装は実に楽しく写真撮影に興じる者も多数。筆者も撮っておくべきだった、なにせ全員が集合したのはこの瞬間だけだったのだから。精神昂揚会の指揮のもと、いよいよスタート。本庄高等学校までの3.4キロがこの第一区。ゆるやかなペースで長い列は春の心地よい風をうけて進む。歩くこと一時間弱、セミナーハウスに到着。食パンでささやかな昼食、この時100キロハイクをなめきっていた奴は筆者だけではあるまい。
ZONE2 13.1キロ(本庄セミナー〜寄居町公民館)
これといって特徴のない道が延々と続く。のどかな畑の風景が単調な道のりに多少の変化を与えてくれる。とにかく友達としゃべる区間かもしれない。異様な光景といえばコンビのトイレに行列ができていることか、しかも仮装した連中が。部外者からみるとなんともこっけいな様だ。徐々に足には乳酸とやらが現れ始める。こんにちは、悪魔君。
ZONE3 24.5キロ(寄居駅付近〜越生中央体育館)
「地獄」という形容はここからがふさわしい。まずは荒川にかかる正喜橋を渡り、どんどんと山の方へと入っていく。ゆるやかな登り坂がだらだらと続き、これまでに住み着いた乳酸がひざ、足首、太ももをじわじわとなぶり始める。寄居町と小川町を隔てる金勝山トンネルは長く、排気ガスと戯れることを余儀なくさせる。「トンネルなげえよ!」ついに罵声を吐いちまった。コンビニでひざま付く仮装集団にもはや不自然さはない。玉川村から都幾川村へのラストの上り坂は名所のひとつと言えるだろう。ここまでくると誰しもが足に爆弾を抱えている。辺りは薄暗くなってきており精神的にも病んでくる。「あれ?俺なんで歩いてるんだろ?」タブーな一言は越生を目前にした地点で発せられた。パンドラの箱を開けてしまった。
ZONE4 20.8キロ(越生中央体育館〜東京家政大学&豊岡中)
通称暗黒地獄。もう書きたくもない。PM9:00、暗黒と化した山道は20キロ先まで続く。ここまでしゃべってきた仲間との音信も途絶える、しゃべれない。周りの参加者もあたかもニ、三人殺してきたかのような殺気に満ちた形相になり、各々孤独と対峙せざるを得ない。怒涛の飯能〜日高の山越えはここまで破損を生じてきた足にとどめを刺す。中間点のサンクスでは涙を流す女の子の姿が。参加者はもはや肉塊。幻覚さえも目前をちらつくこの区間でのリタイヤ数は300名近く。よく見れば道端には死体がごろごろしているじゃないか。特にラストの5キロは長かった。目前に迫った宿泊場所は長い長いケヤキ通りの先。着くとたん筆者は死んだかのような眠りについた、いや死んだな。(次のページへ)
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