2004年1月2日午前8時、ついに箱根駅伝の始まりを告げる号砲がスタート地点である大手町に鳴った。正月にも関わらず、この一大イベントの出発をひとめ見ようと大勢の観衆がどよめき、声援を送る中、色とりどりのユニフォームを身につけた1区を任された選手たちは風のように消えていく。その中に1区を任された早稲田のエースの一人、杉山一介(人3)の姿もあった。早稲田は1区に杉山、2区には空山隆児(人3)、そして3区には篠浦辰徳(人3)と実力の拮抗したエースを配置、誰の目から見ても前半に少しでも先頭に出て逃げ切る作戦であることが明らかだったが、しかしその作戦はもろくも崩れ去る。例年スローペースである1区が高速で展開、杉山はそのペースについていくことができず区間14位。それを挽回すべく空山が走るが体の動きに本来の「きれ」は存在せず、さらに順位を18位にまで落とし、篠浦が区間3位となる走りで奮闘するものの、結局往路は15位。翌日の復路でも早稲田は一度も上位にくい込めず、シード権にすら遠く及ばない総合16位という結果に終わり、「笑顔で大手町に戻ってきたい」という和田の願いは、結局叶うことはなかった。
箱根駅伝の沿道で選手を心待ちにしている観衆 |
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――総合16位と惨敗しましたが、この結果についてどう思いますか。
五十嵐:正直なところ残念だったなと思います。作戦では(往路で)前にいる予定だったのですが・・。いろいろな原因があったと思うのですけれども、スタートで遅れて、立て直す力もなかったということです。
――原因は。
和田:正直分からないというのがありまして、練習は良い流れできていたと思うのですが・・。実際結果として出てきたことは・・。それを考えると何か足りないものがあったのではないかと思います。それは残念ながら簡単に分かるものではなくて、練習の流れだとか体調などではなく、ひょっとしたら個人の内に秘めた何かかもしれない。ただやっぱりああいう結果がでたので、当然原因があると思います。
事実12月の時点で体の不調を訴えるものはおらず、総合16位という結果は予想する順位からははるかにかけ離れていた。「原因はこれだ」と断定することはできない、来年度のメンバーが見つけていくしかない、とこれで卒業していくふたりは語る。
――五十嵐さんは選手個人としてご自分の結果をどう思われますか。区間順位が昨年より下がってしまいましたが。
五十嵐:今振り返ってみると調整や練習の内容などが、今までの練習のスタイルと差があり、練習量が足りなかったなかと。箱根っていう試合にびびった感じになって、調子を上げるために調整を早めにやりすぎましたね。今までうまくいってなかったので、一発やってやろうという気持ちが空回りしちゃって、自分の状態と練習を見極められなかったと感じます。これは何人かの選手にあると思うので、それに気づいてこれからの試合に生かしてもらえればいいのではないでしょうか。
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