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――次年度のチームがさらに強くなるためには何が必要ですか。
五十嵐:振り返ってみても箱根駅伝の前にある主要な大会、例えば関東インカレや全日本インカレなどでも(ほかの大学に)負けていることが多かったと思うので、大きな大会でしっかりピーキングを合わせて戦えることが非常に大切なことかなと思います。去年はそういうことが出来なかったと思うので、(来年度は)目に見えるところで結果を出してくれればと。記録が早いというよりも、主要な大会のすべてにおいて上の方で頑張ってもらえたらいいのではないかと思います。
和田:この一年間、僕たちの学年なりに当然一生懸命やってきて、それぞれの力を発揮してきたと思うのですが、結果がついてこなかった。ここで僕たちがここが悪かったんだと言っても仕方がないです。後輩たちが「去年はここが悪かったのではないか」と、気づいてやってもらわないといけないですし、言葉で言われたことと自分で気づいたことは違いますから、それは大切にして欲しいなと思います。
大学卒業後、四年間を同じ競走部で過ごしたふたりは別の道を進むことになる。五十嵐はJR東日本の陸上部で陸上を続ける。彼の好きな陸上で満足のいく結果を追い求めて練習をしていきたいと話す。一方和田は早稲田大学大学院へ進学、研究をつづけることになった。競走部で長距離という種目に関わってきたふたりにとって、競走部で過ごした時間はどんなものだったのだろうか。
五十嵐(左)と和田(右)。合宿所の前で記念撮影 |
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――四年間競走部で過ごしてきたことに対して、どのように感じますか。
五十嵐:たまにそういうことを考えますけれど、(時間が経つのが)早かったなと思います。部活にしても大学生活にしても終わってみると、「もうちょっとこうしておけば良かった」と思うことがあります。例えば遠藤コーチから何回も言われていたアドバイスを当時の自分は理解していたようで、結局は自分の考え方のレベルが低かったので(本当の意味で)理解していなかったなぁということがあります。
和田:四年間、長いようで短かったと思いますね。僕なんかの場合はマネージメントの側にまわっていたので、競技の話になると二年ぐらいの話しかできませんが、その中でもいろいろなことがあって、正直なところ大変でした。ただ、大変さの中にも競走部の中でしか得られないことがあって、それが得られたのではと思いますね。
最上級生としてこの一年間はどうだったか、という問いに「悔しい思い出が印象に残ってしまう」と語るふたり。2003年度の長距離ブロックは正直きびしい年であったと思う。なかなか努力が結果に結びつかない状況がつづき、いらだつ日々も続いたはずだ。しかし部を引退したふたりからは、以前にあった緊張感のようなものは感じられなかった。それだけ、チームをまとめ上げひとつの目標に向かわせるという作業が困難だということを考えさせる。春休み、合宿所で行われた最後のインタビュー。ここではすでに彼らの一学年下の後輩が最上級生として、新たなチームを作っている。
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