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写真:平田満氏
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この1年は米式蹴球部の歴史にとって、非常に重要な1年であったことは疑いないだろう。創部初のクラッシュボウル進出、甲子園ボウル出場という快挙は早稲田のスポーツの歴史にも大きな一歩を記したといってもいいだろう。
2002年度の米式蹴球部は、日野監督体制になっての2年目。前年度は当該対戦の結果から各ブロック上位2校に与えられるクラッシュボウル(関東選手権)への初進出の芽を阻まれた。ラインのスターターが多く残ったのに加え、鳴り物入りで入部したQB波木も3年目、円熟味を増してきた。WR吉田ら若手の台頭もチームに活気を投入。そして、主将LB関谷の統率力は団結を強くした。機は熟した。
掲げたチーム目標は「関東制覇」。関東制覇とはクラッシュボウルに勝利し、東西大学王座決定戦「甲子園ボウル」進出を果たすこと。しかし、米式蹴球部は創部68年の伝統、日本アメリカンフットボール界のルーツ校でありながら、甲子園の土を踏んだことがない。さらに関東には、関東8連覇中の王者法政もいる。同じブロックは専修大、日体大、東海大など強敵もいた。容易い道ではない。69年目の米式蹴球部の戦いが始まった。
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写真:平田満氏 |
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春先の早慶戦は戦術を温存させながらも14-7で快勝。春先のオープン戦を勝利で締めた早稲田は順調に秋シーズンを迎える。シーズン前の評判は「はまれば強い」。いかにはまるかが勝負だった。初戦は早慶戦も戦った慶応。春勝つと秋で負けるというジンクスもなんのその、31-0と攻守がかみ合っての勝利。「今年の早稲田はやるぞ」と思わせるには十分な勝利だった。しかし、次の帝京戦でミスが連発し思わぬ星を落とす。次の筑波戦では快勝したものの、続く専修戦で第4Qで20点差の大逆転負けを喫する。この時点で既に2敗。自力でのクラッシュボウル進出が途絶えた。しかし、米式蹴球部はあきらめなかった。「後がなくなって吹っ切れた」(主将関谷)と後から語ったように残り2戦を連勝。同じく2敗で日体大と並んだものの、当該対戦の結果から見事、クラッシュボウル初進出を果たす。
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