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[野球部特集] 春秋連覇へ〜Make the LEGEND〜

和田毅 奪三振記録の足跡


和田毅投手
背番号18は和田の番号としてすっかり定着した

 和田毅投手(人4)が元巨人で野球解説者の江川卓氏(法大出身)の持つ東京六大学リーグの通算奪三振記録(443個)を抜き、歴代1位の座に躍り出た。この快挙に大学野球界は久々に盛り上がりを見せ、記録達成前から新聞には「和田」の文字が随所に見られるようになった。今回は「奪三振記録の足跡」と題し、和田投手が早大に入学してからを振り返ってみたい。

 高校時代は夏の甲子園ベスト8の実績を残した和田が入学したのは1999年春。早大は藤井秀悟、鎌田祐哉投手(現ヤクルト)の両エースを抱え、開幕から8連勝。その時の和田はベンチ入りできず、神宮のスタンドから入学したばかりの大学の優勝の瞬間を目の当たりにした。ユニフォームを着ることなく味わった優勝だけに、心に期するものがあったに違いない。その年の秋、和田はベンチ入りを果たし、同時に東伏見にある野球部安部寮に入寮。神宮デビュー戦は9月12日の東大戦であった。和田は二番手として登板。結果は1回を打者5人、被安打2。ここから彼の奪三振記録への挑戦が始まった。

 翌2000年春シーズンからは、卒業した藤井の後継左腕としてローテーション入りを果たした。4月9日の明大戦で初先発初勝利。しかし早慶戦では両日とも先発するも無念の2戦連続途中降板。私は入学する前であったので直接は体験していないが、和田が2連敗した早慶戦の悪夢は、観戦した人の脳裏に深く焼き付いているようである。初めてフルに投げ抜いたこのシーズンで、和田は2年生にして早くも奪三振王(88個)となった。この頃から「奪三振マシン」「東京六大学のドクターK」という異名を持つようになる。

 00年秋季も投手部門3位(防御率1.55)、奪三振部門2位(62個)と活躍。10月30日の早慶戦では春のリベンジを果たし、慶大打線を4安打に抑え神宮初完封。この和田の円熟味が増してきたのは、3年生となった昨年頃からである。昨年は江尻慎太郎投手(現日本ハム)と二本柱を形成。春に最多勝と最多奪三振投手に輝くと、秋は前記の2部門に加え、最多投球回数、最多登板も達成。まさにフル回転の活躍だった。

 今春、4年生となり副将も務め、名実ともにチームの大黒柱となった和田。ユニフォーム姿で優勝を迎える機は熟していた。法大戦では勝ち点を落とすもその他の試合は全勝かつ無失点。早慶戦で、和田の登板で優勝を決めるという最高の形であった。成績も4勝(1敗)を挙げ、シーズン自己最多の95奪三振を記録し通算記録を400と伸ばした。自責点は法大戦で喫した4のみで初のベストナインにも輝いた。待ち望んでいたリーグ制覇。それとともに、和田の頭上に懸かるもの。リーグ通算奪三振記録の更新が見えてきた。


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(TEXT=長友亮太、PHOTO=山田浩平)

 


 
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