待ちに待ったドラフトの日がやってきた。2002年11月20日、和田毅投手(人4)の自由獲得枠でのダイエーホークス入団が決定した。これで早稲田からは4年連続でのプロ野球選手輩出となる。
いつのころか「六大学のドクターK」と呼ばれるようになった。和田が投げると皆が三振を期待する。そして、その通りの奪三振ショーが繰り広げられる。通常、投手戦になるとファンはあまり面白くないものだが、和田の場合は違う。その1球1球に華があるのだ。我々は和田を見に球場に足を運んだ。
私が初めて和田というピッチャーを実感したのは2年前の春の早慶戦だ。その春、前の年に卒業した藤井秀悟(現ヤクルトスワローズ)の後を埋めるよう彗星の如くデビューした和田だったが、早慶戦のとき、和田は2戦連続して先発し、2戦連続して早期KOという結果に終わる。マウンドから降りるとき、内野スタンドで観戦していた私の目にも悔しさで目が潤んでいるのが見て取れた。今から思うと、この悔しさが今後の和田を支えたのではないか。
そして、今季第3節の対法大3回戦、法政の主砲である後藤(自由獲得枠で西武ライオンズへ入団予定)から奪った東京六大学通算444個目の三振を奪取。この時、怪物「江川卓」が残した記録を25年ぶりに更新した。記録より負けたこと(この記録達成の後、サヨナラホームランを浴びてしまった)のほうが悔しいと語る和田は根っからの勝負師なのだろう。
そして、この試合のあと結局記録は476個まで積み上げてシーズンは終了した。4年の春と秋は自身の投球と頼れる仲間で早稲田を52年ぶりの春秋連覇に導く。記録・記憶らどれを取ってみても誰もが認める「エース」である。
和田の最大の特徴は、まず大きな怪我がないことである。4年間を通じて大きな怪我がない。これはプロとして活動していくにあたり、何より重宝される部分になる。そして、左腕で最速146km/hのストレート(左投手の球は一般的に右投手の球より5km/h程度速く見えるといわれる)と鋭く曲がるスライダーを主な持ち球に、球の出所を分かりにくくする和田独自の投球フォームで相手を翻弄する。
入団時の会見で目標とする投手を問われ「目標という投手はいないが、自分自身が活躍して人から目標とされる投手になりたい」と力強く答える和田投手。ドラフトの上位指名者から活躍者を多数輩出するダイエーホークスを選んだのも必ず吉と出よう。
かつてない期待をもって迎えられる松坂世代の中でも和田は最大の評価を受けている。先にプロに入った松坂(現西武ライオンズ)や杉内(現ダイエーホークス)らと同じ土俵・同じリーグで戦うことになる。早稲田の星からプロ野球の星へ。和田毅の今後の活躍をいち早大生として心から祈りたい。
|