(前のページより)
――バレー部を四年間やってきて成長したところは?
中島:
俺はあんまり変わってないかも。でも、筋は通すところは通すってことを再確認しました。
須永: 僕は中島とは正反対で曲がってても上が絶対みたいな人間なので(笑)。上下関係とか振る舞いとかは、ちょっとはわかった気はします。でも、バレーはうまくなりました。
中島:
こいつもともとセッターだったんですけど、やってなかったわりにレシーブとか上手くて。でも、俺はお前のトスが打ちたかったよ。
一同:
笑
中島:
こいつが入る前セッターが一人しかいなかったんですよ。それで竹井が一緒に入ってセッター三人だったんですけど、最初練習行ったとき俺セッターでベンチ行けるかもしれないとか言ってて。最初そういう気持ちを持ってたのにいつの間にか折れ曲がっちゃって、やっぱ内部生から入ってくると少し扱いが違うんですよ。そこで俺が「何で駄目なんだ」って言えなかったのも悪いんですけど、それは悔しかったですね。
――須永選手はピンチサーバーとして出場していますが緊張しますか?
須永:
やんなきゃって感じで気を張ってるわけじゃないし、一本で終わっちゃうんで…。
ウィルウィン:
でも、サービスエースはかなり取ってますよね?
須永:
ほんとたまたまなんで。
ウィルウィン:
あれはなんで取れるんですか?
中島:
あれはほんとたまたまです。
一同:
笑
中島:
でも、相手が須永のフローターサーブの軌道を得意としている人がいれば、普通に返しますよ。でも、そのたまたまを毎回持ってくる須永はすごいですよ。
須永:
でもやっぱ状況を変えなきゃって時があるんですよ。そういうときに誰を変えるってなるとピンチサーバーが必要になるので、その時に僕が出れたらいいかなって。
――全日本インカレのエピソードというのはありますか?
中島:
どれも思い出深い印象に残る試合でしたね。1年生とかはよくわからないまま負けてしまったっていうのがほんと悔しくて。2年の時は石倉(弘士(05年人卒、現NEC))さんが怪我したってこともあるんですけど、誰もチームをまとめる人がいない中で僕がやるのもおかしいですけど、チームをまとめられなかった悔しさ。3年の時は、言われたことだけやろうみたいな感じで淡々とやっていたんですけど、それに対して文句を何も言わずに僕を使ってくれたキャプテンに感謝したし、そのチームで最後に勝てたっていうのが思い出として残る年でした。
須永: 僕は去年ですね。結果が3位になったからってわけじゃないですけど。僕の中で藤森亮介(06年人卒)さんっていうのは、見た目はふざけてる人だけど、すっごい尊敬していたので。亮介さんに認められたのかはわからないですけど、一年間通してずっと使ってもらって、チームとして必要にされてるのかなって思わしてくれたし。あとは、問題ある連中をうまくまとめあげてチームを作ったりとか表には出さない苦労みたいなのを見てきましたから。
中島:
練習で一切手を抜かなかったのはすごいよね。亮介さんが手を抜いてないとわかっていたので亮介さんに従ってやろうと思いました。
――次の代に受け継いでほしいことはありますか?
中島:
僕は一年生のときからルール破ってきた人間なんで四年生として言える立場ではないんでないんですけど、楽しくやってくれればいいかなって思います。
須永:
傍から見たらふざけてるチームかもしれないですけど、それは他の大学にはない魅力だし、いい意味でのガキっぽさや面白い雰囲気っていうのを受け継いでいってくれたらなって思います。
――最後にインカレの目標を聞かせてください。
中島:
チームとしては毎年毎年最後なんで、僕は特別四年だからってことはないです。去年も最後だし、おととしも最後だし。いつも通り楽しくやって、楽しくやれる試合がいつまでも続くようにと思います。
須永:
最終日まではやりたいです。今までうまくいかなかったり、結果がでなかったりってこともあったし、一人もむかつかなかった奴はいなくて、絶対こいつとは一生口聞かないって思うこともありました。でも、そういう中でバレーしてるからこそ本気で試合が出来るわけだし、そういう奴らと一緒に一日でも長くバレーをやっていたいですね。
笑いの絶えることのなかった今回の対談。「筋を通すところは通す」という中島と「上との調和を大切にする」という須永の考え方に違いはあるものの、このチームで勝利し全日本インカレで一つでも多く試合をやりたいという気持ちは変わらない。その気持ちがあればおのずと結果はついてくるだろう。コートでは全力でプレーする二人の姿を見たい。
関連URL
早大バレーボール部公式サイト
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