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行場竹彦駅伝主務プロフィール
商学部4年
神奈川・多摩高校出身
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―競走部のマネージャー、主務になられた経緯を教えてく
ださい。
競走部では、大体2年生の夏ぐらいまでに各学年一人マネー
ジャーを出さなくてはいけなくて、最初僕も選手として競
走部に入ったんですけど、僕らの代では誰も(マネージャー
を)やる人がいなくて。以前から記録を整理するのも好きだ
ったし、ちょうどその頃僕が故障で走れなかったこともあ
って、「自分がやってチームのためになるのなら」と思っ
て、自分でやることに決めました。
―選手への未練はなかったんですか?
それは結構ありましたね。選手からマネージャーになる人
は、誰でも最初は(未練が)あって、僕の場合それがなくな
ったのは、3年の4月位だったと思います。結構それまでは
、時間を見つけて走ったりしてました。その後も、全く走
らなくなった訳ではないです。未練に関しては、時間が解
決してくれたと思います。
―普段の仕事内容を教えてください。
主務として主な仕事は、主要な大会の申込や、全体をまと
める立場なので、誰がどの仕事をするかなど、他のマネー
ジャーの仕事の管理、管轄をすることです。練習の時は、
他のマネージャーと一緒にタイム計測をしたりと、主務と
して特別な仕事はあまりないんですが、ただ主務になって
からは出来るだけ色々な選手に話しかけようと心掛けてい
ました。試合の時は、選手が来る前にその日の全体の動き
を把握しておく位ですね。
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主務になり、チームをより客観的に見れるようになったと
のこと。
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―主務として大変だったこと、苦労はありましたか?
そんなにはないと思うんですけど、早慶戦の時、監督から
直前に「種目を増やせ」、って言われた時は結構大変だっ
たかなと思います(笑)。あと肉体的に辛かった仕事と言え
ば、連日100km以上車を運転するとかもありましたね。まあ
、でも陸上競技が好きであればつらい仕事はほとんどない
と思います。
―学業との両立は?
そうですね、僕はもう学業はほとんど捨ててたんで…(笑)
。マネージャーをやると決めてからは競走部の方に支障を
出したくなかったので、ゼミにも入らなかったし、最低限
単位が取れればいいやという感じでやってました。
―主務として心掛けていたことは?
なるべくみんなから話しかけてもらいやすい雰囲気を作ろ
うと心掛けていました。具体的には、練習中もサングラス
をしないようにしました。選手にとって近い存在になれる
よう意識していましたね。
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