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学生スタッフ特集

第三回 競走部 行場竹彦駅伝主務インタビュー

前のページより)




 

箱根往路優勝表彰式の様子

―4年間で一番の思い出は?
 やっぱり今年の箱根駅伝で往路優勝して、総合2位になれた ことですね。

―やはり、特に印象深いのは駒野(亮太・教)主将が往路優 勝のテープを切った瞬間ですか?
 みんなそう言うと思うんですけど、僕は7区の石橋(洋三・ スポ)から8区の飯塚(淳司・スポ)へとトップで襷を渡した ところですね。4年間ずっと一緒にやってきた仲なんで、そ の二人が襷を繋いでくれた瞬間が一番嬉しかったです。

 

        卒業後も、市民ランナーとして走り続けていきたいという 。           

―箱根駅伝の当日はどんな仕事をしていましたか?
 毎年主務はそうなんですけど、各区間の選手のところに先 回りして、次の区間の選手の荷物を受取ってそれを渡すっ ていう、荷物の運搬です。そうすると各区間の選手に走る 前に声をかけることができるので。当日はそういう仕事を していました。

―メディアからの圧力、プレッシャーは感じましたか?
 はい、今年は例年以上にメディアの方が多かったので、選 手も大変だったと思います。監督もプレッシャーを感じて いたようで、終わった後は「よかった。」って安心してま した。

―行場さんならではの箱根の裏話、エピソードなどはあり ますか?
 箱根の前の話なんですけど、12月の初めに石橋が「俺が走 る可能性は5%ぐらいだ」とか言ってたんですけど、その後 故障者が続出して、その可能性が30%、70%とどんどん上が っていって…。最終的には「(石橋が)走んなきゃいけない 」っていう状況になって、本番ではいい走りを見せてくれ ました。あとは、往路のゴールの時に選手が揃わなくて、 焦りましたね。僕は5区が始まった位に「往路優勝するかな 」って思ったので、選手を(ゴールに)呼ぶかどうか監督に 聞いたんですけど、監督が「別にいいよ、優勝する前にそ んなこと気にしてもしょうがない」って言ったので、結局 高原(聖典・スポ)とかはホテルに帰りました。テレビの人 は「なんで全員来ないんですか!?」って少し怒ってました ね。
  レース前に故障者が続出した時は、寮では「シードを取れ るかな…」なんて話もしていたんで、ああいう結果になっ てみんな「よかった」って言う反面、2位になれた驚きもあ りました。

―先日(1月27日)、奥むさし駅伝に4年生チームの一員とし て出場されていましたが出場の経緯、感想は?
 当日出なかったんですけど下平(芳弘・スポ)と駒野が二人 で、元々出ようと言っていたのがきっかけで、僕が申込を 頼まれて申し込みました。故障者とかもいて、当日メンバ ーが集まるか心配だったんですけど(笑)、なんとか都合が あって出場できてよかったです。終わった後、本多(浩隆・ スポ)が「4年間で一番(チームが)まとまった」とか言って 一人で感動してました。今までみんなで出る試合がなかっ たんでいい思い出になりましたね。

―練習はどのくらいしていたのですか?
 練習は各自に任せていて、本多なんかは箱根前に故障して いたんで軽いジョグしかしていないですね。僕も箱根が終 わってから風邪をひいてしまって、試合の2週間前位から頑 張って練習しました。  


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(TEXT=岡崎聡、PHOTO=五十嵐文子、神崎風子、競走部提供


 
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