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学生スタッフ特集

第二回 弘津知樹主務インタビュー

前のページより)




 

主務と委員長のバランスが難しかったとのこと

―体育会の委員長を務めているということを聞いたのですが
 5月に新人パレードとか3月に謝恩会という体育会の企画とか運営をやっています。一年生の時にたまたまこういう会があるから先輩から行けといわれて、それから気付けば4年生になっていて。そのなかで一個上の代の委員長の方からご指名があったので、『やります』と。

―委員長の仕事で大変なことは?
 週一回の集まりでどうしても部活に顔を出せないことがあったりするので、企画などで部活全体に貢献しているという思いがある反面、逆に部がおろそかになってはいけないので、バランスをとるのが・・・難しいということもあります。そこは幸いうちの部は部員の理解があって良かったかな。

 

試合中は常に記録をとる姿を見かける。          

―他の部の活躍が気になったりすることは
私事ですがインカレベスト64の主務が委員長をやって、誰がついてくるの?と思っていたので、他の部の活躍は同じ体育各部として誇りに思う反面、実際は少し悔しいという気持ちもありました。 でもやっぱり、知人の活躍は刺激になり、嬉しく思います。

―勉強との両立は?
 うちの学部(政治経済学部)はあまり出席は取らず、テストの1発勝負というのが殆どです。なので、テスト前はノートを友達と助け合いながら乗り切ってきました。レポートとかテスト前だと普段は出ないような力が出たりするんで(笑)幸い4年の前期で卒業も決まってました。こういう立場にいる人間が成績取れないというのは嫌じゃないですか。「あいつ勉強出来ないのに、なんであいつに単位取れとか言われなきゃいけないんだよ」みたいな。なので見本になりたかったという感じです。

―主務になって後悔を感じたことは?
 辛いことはあっても、辞めてやるぞってことは無かったです。4年間いろんな選択肢がある中でたまたまバレー部に入ってこのような人達に出会えて、部活も学校も卒業出来るっていうのが本当に幸せなことだと思います。でもやっぱり一番は12月にインカレで不甲斐無い結果であった時は、一番悔しかった。自分の4年間は何だったのだろうということや、委員長やってることもインカレ2回戦負けの主務が委員長やってても誰もついてこないだろうという思いもあったので…。やっていることの意味を見い出せなくて悩んだということもあります。でも今自分がやっている任務や責務をこの段階で放り出すのはもっと後悔すると思ったので、125周年という年に委員長という立場を与えてもらったんだから、3月までは絶対に頑張ろうと思いました。

―自分の考えていることが部をうまくコントロールできたと感じたことはありますか。
 うちの部はみんな自立しているということもあり、案外独創的な部分もあるから、“最初からこうする”という考えだと絶対に合わなくなってくる。だからある程度、方向性に含みを持たせて、最初から幅をもって考えていたからその中でやってくれれば大丈夫という感じです。いわゆる想定内っていう考えでやってます。笑

―主務を経験して得たことはなんですか?
 抽象的なんですが、昔は物事をこなせばいいという考えだったんですが、4年間やってみて、こなした後のその先のことを考えられるようになった。体育館一つにしても、ただ(場所を)とれば良くて後はみんなでやって、みたいな感じじゃなく、人のこと、その先で待っている人のことを考える。気持ちを込めるということが今まではできなかったけれど、この4年間で得た事ですね。    


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(TEXT=池田恩、PHOTO=五十嵐文子、池田恩


 
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