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NHKディレクター 神原一光
1980年東京生まれ
庭球部OB
在学中は、関東学生単複2冠、大学王座日本一など
数々の功績を残し、小野梓スポーツ賞受賞
卒業後は、NHK制作局にて「トップランナー」など若者向け番組を担当
現在は「テレ遊び パフォー!」の制作に携わる
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2008年北京オリンピック。開会式の模様を放送局のTVモニターからじっと見つめるOBがいた。NHKディレクター・神原一光さん。元早大庭球部のエースとして、チームを大学日本一にまで導いてきた彼は、感慨深そうにこう切り出した。「あー、8年たったかぁ」。
さかのぼること2000年。彼は茨城県鹿島市・市立カシマスポーツセンターの観客席に座っていた。当時、用具契約していたスポーツメーカー・ミズノの担当者も一緒だった。
日本代表の試合を観ていた時、会場で社員から告げられた言葉に神原さんは驚く。
「神原、お前はダブルスが上手いから、2008年のオリンピックを目指してみないか?」
スポンサーから向けられた、嘘偽りのないまっすぐとした視線。その場で思わず絶叫した「本当ですか!?」。
それから8年。卒業と同時にテニスを辞め、NHKに入局した神原さん。メディアの第一線で走り回る毎日。そんな中、担当していた北京オリンピック報道の現場で、その光景を見た。
「開会式で、選手団が手を振って歩いてくるじゃないですか。その時ふと考えちゃったんです。この仕事に就かずに、もしも本気でテニスを続けていたら、あの場に自分もいたかもしれない。…万が一の話ですけどね。」
10歳の頃からテニスをはじめ、テニスとともに生きてきた神原さん。自分が出場していたかもしれないオリンピックの映像をTVモニターで眺めたあの時、正直未練がなかったと言えば嘘になる。
しかし次の瞬間、彼は強く思ったという。「テレビの世界で日本一になってやる。あの時、自分が決めた道だから」と。
ターニングポイント
スポーツをする側から伝える側へ。彼がこの業界を目指そうと思ったのには、ある原点がある。それは現役時代の事だった。
「僕らは当時、それなりに成績を上げていたし、いい試合をしていたんです。でも学内のスポーツメディアは、そんな僕らの様子をあまり取り上げてくれなかったんですよ。僕らがどんないいプレーをしても、どんな大きい大会に出ていても、紙面に大きく取り上げられていたのは、野球・漕艇・ラグビー・サッカー・駅伝など、いわゆる「早稲田のメジャースポーツ」ばかり。確かに、取材には来てくれたし、記事も書いてくれて、すごくうれしかったんです。でもテニスの記事は、とても扱いが小さかったんです。
同じスポーツをやっているのに、扱いが違う。そんな現状がいつも悔しくて。自分たちはこれだけ頑張っているし、いい事やっているつもりなのになぁ、と。」
一面トップとは言わない。でも同じスポーツで頑張っている自分たちの姿を多くの人にわかって欲しかった。神原さんの胸に、そんな想いが沸いてきた。
「その時、思いついたんです。『じゃあ自分たちで発信すればいいじゃないか』って。自分たちの競技の魅力を自分たちで伝える。そんなメディアを自ら、作ってしまってもいいんじゃないのか。」
思い立ったら、行動に移すのは速かった。自分で部員を取材し、記事を書き、デザインも手がけた。印刷会社にいるOBに、すぐさま掛け合った。「部を紹介するポスターが作りたいんです。“早稲田スポーツ“みたいに立派に。」練習や試合の合間を縫って制作に奔走した。
そんな行動に、周囲の反発もあったという。 「ポスターの制作に駆け回る僕を見て、気が散っているんじゃないかって言う人もいましたよ。そんな事をやっている暇があったら、強くなるための練習をしろ、とも言われました。」
でも、決意は変わらなかった。
「自分たちが身体を動かすってこんなに素晴らしいことなんだよ。文化的に価値があることなんだよって多くの人にわかってもらいたくて。」
「伝えたい」気持ちの下で、制作は続けられた。
苦労を重ねた末、ポスターは見事完成。駆け回った末に出来た力作は「僕の人生にとって、とても有意義なものになった。」と神原さん。この言葉通り、これが後に彼の人生を突き動かすターニングポイントとなる。
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