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いざ、社会の海原へ
3年生になり、就職活動の時期を迎えると、テニスを続けるか、社会に出るか。二者択一の決断を迫られることになった。
「その時は、やっぱりテニスを続けたいなぁと。そう思ったので、実業団チームも何社か受けようかと思っていたんです。でも時代が時代で…。」
当時も不況の真只中。就職氷河期と呼ばれる時代だった。それ故に、実業団をめぐる環境も良くなかったという。『名門チームの野球部解散。企業、スポーツ事業からの撤退。』多くのニュースが飛び交う毎日。「こりゃヤバイなぁ」神原さんも不安を感じていた。
そんな状況の中で浮んできたのが、ポスター制作での想いだった。
「あの時自ら、競技の魅力を伝え続けてきたように、スポーツを『伝える』仕事も面白いんじゃないか。」
彼は決断する。テニスからの引退を決意し、マスコミ各社を受けてまわった。
そこからは、忙しい毎日が始まる。
面接を受けるために、試合会場のある大阪から東京へとんぼ返りする事もあった。あまりの多忙さに、移動中の機内で過呼吸になり、病院に運ばれた事もあるという。慣れない就職活動のプレッシャーに押しつぶされそうな日々。テニスと就職活動の両立は「正直辛かった」と振り返る。
「でも、人生は一回しかないんだ。ここで頑張らないと。」神原さんは、自分を奮い立たせた。
こうした苦労の末、勝ち取ったのがNHKの内定だった。
筆記試験に全国大会へのキップをかけた大切な試合…スポーツをする者ゆえの苦労がそこにはあった。しかしそんな中で結果を出すことができたのは、一途に目標に向かう、その姿勢があったからだ。
「身体は一つしかない。両立はものすごく大変だった。でも、そんな状況でも揺らがずにやってこられたからこそ、今の僕があるのかもしれないですね。」
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仕事場であるスタジオに案内してくれた。
仕事を語る表情は生き生きしている。
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入局1年目の試練
2002年、神原さんはNHKに入局。番組の企画制作を担当する「ディレクター」として、静岡放送局に赴任した。しかし、新人時代は苦労の連続だったという。伝えたいという気持ちはあっても、何を取材し、どう構成し、いかに映像化したらよいかが、一切分からない。自分の無力さを感じた。
「事実はきちんと取材してくるけど、お前の取材には“メッセージ”が足りない。」
ある時、上司であるプロデューサーから言われた言葉が胸に突き刺さる。
この悔しさをバネにしたい。「どうすればいいのか?」考え抜いた。
その末に、導き出した答えが「映像の台本化」だった。
オンエアされた『ニュース7』やドキュメンタリー番組を録画して、番組をすべて「文字化」した。映像、音楽、テロップ、コメント時間…番組の一連の流れを台本に書き起こしてみる。こういう作業をただひたすらにやった。時間のかかる作業だったが、これが自信に繋がったという。
「『俺、このとき笑ったな』とか『ここで俺、感動したんだ』とか、全部書き起こしてみたんです。すると、だんだんわかってきたんですよ。伝え方ひとつで人の心が動かせるんだ、と言う事が。
ディレクターの仕事って、感動の「仕組み」を知らないといけない職業だと思うんです。今までそれがわかっていなかったわけですね。手間と時間のかかる作業でしたけど、台本化の作業はそういう意味で勉強になりましたね。」
一つずつ課題を克服し、番組を制作する。苦労して取った取材が、担当する番組の成功に結びついた。「これがたまらなく嬉しい」と神原さん。仕事での成功体験が、次の仕事のやりがいに繋がっていった。
「テレビの世界で生きていく」という、決心
「静岡県代表として国体に出てくれませんか?」2002年冬、神原さんに突然のオファーが来た。翌年の秋に国体の開催を控えていた静岡県。開催県の優勝が命題と考えた地元のテニス協会が神原さんに白羽の矢を立てたのだった。急浮上した「国体代表」の二文字。そして「現役復帰」の四文字。神原さんの気持ちは大きく揺らぐ。
悩んだ彼は、この話を当時の上司に持ちかけてみたという。すると上司からは、意外な言葉が跳ね返ってきた。
「今のお前は、ニュースを伝える立場にいる。国体を報道する立場にいるんだろう。『伝えたい』っていう気持ちでこの仕事に就いたのに、お前がニュースになってどうする。」
頬を叩かれた気分だった。もし試合に出ていたら…自分はいつまでたっても現役を引きずり、未練を残す事になっていただろう。「テニスの亡霊」に取り憑かれ、今の仕事が疎かになっていたかもしれない。
ふと、テレビ界を志した熱い想いが蘇ってきた。
「自分はテニスで日本一になった。今度はフィールドを変えて、テレビの世界で頂点を目指すんだ。」そのために選んだ大きな山が「NHK」なんだ、と。
だったら、中途半端な気持ちはダメだ。彼の胸に大きな決意が芽生えた。
「大切な事は、決断が正しかったか、間違っていたかじゃない」当時の想いを振り返るように、神原さんは強調する。
「決断が、正しかったと思えるように努力しないといけない。自分で決めた道を、自分の選択を『良かった』と思えるように努力を重ねる、これが一番大切だと思うんです。」
確かにテニスは好きだ。でも自分は、テレビの世界で生きていくと決めたんだ。もう戻らない、進もう。
彼は自分に言い聞かせるようにゆっくりと、言葉をかみ締めた。
壮大なフィールドで描く夢
インタビューの最後、神原さんは夢を語ってくれた。
「若者にとって、夢のきっかけとなるような番組を制作したいんです。僕らと同じ世代の人たちに、人生の転機になるような衝撃を感じてもらう、そんな番組が作れたらなぁ。それには、相当なメッセージが必要だと思っています。だから日々、心の感覚を磨かないとね。」
揺らがずに、ただ前だけを見つめて。大きな夢に向けた神原さんの試合は、これからもずっと続いていく。
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