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その後、編集者としてキャリアを積み重ねた朝岡さんは、格闘技専門誌『格闘技通信』の編集長を2度にわたって務め上げた。編集者としてはもちろん、一つの雑誌をまとめ上げる立場に立った朝岡さんには当時、伝えたかったメッセージがあったのだと言う。
「そもそも、僕が学生として競技をしていた当時は、まだ格闘技と言うものが確立されていない時代だったんです。リング上で戦う姿が似ているということで『格闘技もプロレスも同じ』という考え方が世の中では先行していた。選手として試合をする中で、その在り方が許せなかったんですよね。
当時のプロレス界では、格闘技の世界でチャンピオンになった者をリングに上げ、レスラーたちと闘わせていたんですよ。プロレスはスポーツというより、エンターテイメント性の高いものですから、時には観客を喜ばせるために負け役に徹しなければならないんです。だからプロレスのリングに上がったら、たとえ格闘技界のチャンピオンでも、負けなくてはならない。言い換えれば、負け役を演じなくてはならなかったんです。
僕は、これがおかしいと思ったんですよ。そもそも僕らが競技の中で常に争っているものは、順位ですよね?
チャンピオンを目指し常に凌ぎを削っているわけなんですよ。
もし、その序列社会の中で頂点に君臨した者が、プロレスの世界で『負け役』になってしまったら…僕らは何の為に戦っているんだろうっていうことになってしまいますよね。
リング上で真剣勝負をすることも、戦いの中で順位を決めることも、何ら意味がなくなってしまうんです。
プロレスと総合格闘技は確かに、リングで戦う姿が似ているのかも知れません。でも、その性質は全く異なるものなんです」
あくまでも真剣勝負にこだわり、頂点を目指そうとする。自分たち選手のことを応援してくれる多くのファンには、そんな「武道やスポーツとしての格闘技」を見てもらいたかったと朝岡さんは言う。
「暴力団とのつながりもその一つですね。
協会の資金源や大会の運営費になっているなど、そんな大それた話ではないですが、格闘技は、暴力団との繋がりが無いとは言えない世界なんですよ。古くからの関係で組織との接点が数多くの場面であったんです。
だから当時の試合会場は酷かったですね。柄の悪い人たちがそこら中にいて、押し合い圧し合いになることは日常茶飯事でした。ひどい時なんて、観客同士が殴りあいをしていたこともありましたよ。試合を観に来ているんだか、喧嘩をしにきているんだかわからない状態でしたね。」
格闘技が好きで見に来てくれるのだったら、純粋にスポーツとして楽しんでもらいたい。そして、見る側にもそれなりの知識とマナーを持ってもらいたい。競技の中で、そう強く感じていた。
その気持ちは、雑誌の編集にも現れている。朝岡さんが編集長を務めた当時の号をみると、選手のインタビューだけにとどまらず、技やテクニックを写真や挿絵をふんだんに使って紹介する、そんな記事が多い。技術を理解することで、競技の魅力を知ってもらいたい。読者へのまごころが感じられる一冊となっているのだ。
そして現在、朝岡さんは格闘技界の状況をこう分析する。
「昔に比べると、今の格闘技界を取り巻く環境は、すごく良い状態になってきていると思うんです。格闘技を武道・スポーツとして理解している人もだいぶ多くなってきている。自分が仕事をしたことで状況を変えられたとか、そんな大それたことは決して思わないですよ。でも、格闘技界が変わってきていると感じられることは、この世界に携る者として嬉しいことですよね」
朝岡さんは今でも、仕事の合間をぬって自分の出身道場である大道塾・早稲田大学同好会に出向き、練習の傍ら後輩への指導を行っている。その稽古場には彼の威勢の良い、こんな声が飛び交っていた。
「ゆっくりでいいから、自分の姿を鏡で確認しながら」「常に基本に忠実に」。
雑誌編集で技の美しさを重視する朝岡さんらしい言葉だった。
インタビューの最後、朝岡さんは自らの仕事観をこう話している。
「僕はどんなに忙しくても、趣味や遊びを犠牲にしようとは思わないんです。人生は、仕事だけになってしまったらいけないと思う。遊んだことや、趣味でやっていることが、仕事の上で役に立つことも絶対あると思うからね」
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