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シブヤ大学学長 左京泰明
第二文学部卒業。ラグビー蹴球部OB

                 4年次には主将を務め大学選手権準優勝を果たす
   卒業後は住友商事に就職
             その後退社し、2006年よりNPO法人シブヤ大学を始める
現在は同機関で学長を務める

 「NPO」近年、多くの注目を集めるこの分野。そんな分野で活躍するひとりのOBがいる。元ラグビー蹴球部主将の左京泰明さん。左京さんは新たな形での「大学」を展開している。

 「シブヤ大学」。

 舞台は日本を代表する繁華街「渋谷」。近年では日本人のみならず、多くの外国人が訪れる、世界有数の国際都市だ。その地域性と広大なフィールドの中に誕生したこの大学には、今までの日本教育界にはなかった、奇抜なシステムが構築されている。時には明治神宮で宮司さんから参拝の作法を学び、時には山手トンネル内で掘削現場の社会見学をする。まなびの場は多種多様。街中のあらゆる場所に教室を開き、あらゆるジャンルの授業を開講しているのだ。

 NPO法人・シブヤ大学の最も個性的ところは、教鞭を取る講師陣の顔ぶれにある。芸術家、タレント、スポーツ選手といった著明人はもちろんのこと、地元の自治会長や農業を営む市民もが教壇に上がる。様々なレベルで活躍する講師が、自らの経験を語る。街を動かす人々の「生きた」声が、シブヤ大学の授業には溢れているのだ。

 「授業はこちら側が提案することもありますが、生徒さんからの声で、企画することもあります」と左京さん。多くの人たちの心を惹き付ける魅力的な授業にするには、どうすればよいのだろうか。奇抜な授業をコーディネイトするために日々尽力している。





 

 日本では、まだまだ発展途上にあるNPO。一度は商社で働いた経験を持つ左京さんが、その経歴を捨て、あえてこの新しい分野に飛び込んできたのには、一体どんな理由があったのだろう。その理由には、学生時代に出会ったある人の生き方が影響しているという。

 「僕らと同じラグビー部のOBで、奥克彦さんという方がいらっしゃるんです。その方の話に、僕はすごく憧れを持ったんですよ」

 奥克彦さん。日本の外交官として戦時下のイラクに渡り、危険を顧みず現地の復興支援活動にあった人物だ。しかし2003年、イラク支援会議に向かうために車を走らせている最中、現地の武装組織に襲撃され殉職。日本中に衝撃を与えたことで、記憶に新しい。

 「そんな奥さんが生前、僕らの前でお話をしてくれる機会があったんです。その中で、銃弾チョッキのお話をされたことを僕は良く覚えています。

 彼は『イラクの民衆の方々と接する時に、僕は防弾チョッキを着ることはない』とおっしゃった。誰にとっても危険な場所で、身を守ることが絶対不可欠な状況なのに、何も身に着けないないなんて、誰が考えても危険すぎると思うでしょ? でも『これは現地の人の信頼を築くためには重要なこと』と彼は言う。そしてその理由をこのように、ラグビーの試合に例えられたんです。

 『ラグビーでも、何もせずに口先だけで指示をしていたのでは、誰もついてこないだろう。自分自身がチームのために痛い思いをして、始めてチームメイトが信頼してくれるようになる。この仕事でも、それは同じこと。民衆の人たちが危険な目にあっているのに、僕たちだけが安全な格好をしていては、なかなか信頼を得られない。僕らが同じ状況や同じ目線に立ってはじめて信頼が生まれるんだ』と。

 このお話にすごく感動を覚えたんです。国際的に仕事をする外交官という立場に憧れを抱いたのもそうですが、国際情勢が非常に緊迫したなかでしっかりと自分の役割を果されている姿に感銘を受けました。そして何よりも、奥克彦さんが語る言葉の中にはラグビーを通じて学ばれたものが多かったんですよ。自分の信念、志をもって社会のために尽力し、ラグビーを通じて学んだ信念のもとに、仕事をしていらっしゃる。奥さんの言葉は、当時の僕たちにもすごくわかりやすくて。『そういう仕事の仕方もあるんだな』とすごく感銘を受けたんです。

 僕はもともと、社会に出ることに対するモチベーションが高かった。それだけに奥克彦さんの生き方は、すごく格好良くて。刺激になりましたね」

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(TEXT=鈴木雄介、PHOTO=小垣卓馬・池田恩)

 

 


 
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