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江里口選手の2010年度シーズンでの主な成績
関東インカレ:100m 優勝 日本選手権:100m 優勝(2連覇) 日本インカレ:100m 優勝(4連覇) アジア大会:100m 準決勝敗退
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――その分、全カレ以降の日本選手権リレーや箱根駅伝では、4年生の意地が見られた気がします。
そうですね。最後の日本選手権リレーのマイルと箱根駅伝は同級生が頑張っているところを見て、僕も応援していてすごい眼頭が熱くなる場面もありましたし、本当に同級生としてすごく良かったなというか、見ていて感じるものは大きかったかなと思いましたね。
――総合優勝を果たした今年の箱根駅伝はどのように見ていましたか?
箱根は、僕は2日に地元から帰ってきたんですけど、3日は午前中から大手町に行って礒(繁雄)先生や河野(洋平、WAC)会長など色々な方々が箱根の応援にいらっしゃっていたので、そういう人達にあいさつをしながら自分も部の一員として応援にまわっていました。給水であったりそういう補助にまわっているトレーナーやマネージャーの同級生は、まだ直に選手と触れ合うところで自分の役目を果たそうとしていたので、やはり箱根が終わらないことには4年生としても終われないなと思っていましたし、最後は中島(賢士、スポ4)がガッツポーズをして優勝のゴールに入ってきてくれた時は嬉しかったですね。
――江里口選手から見た長距離の4年生達は?
当初は高野(寛基、スポ4)が駅伝主将だったんですけど、4月頃に中島に変えてっていうこともありながら、やはり勝つためにチームとして決めてきたことですし、その高野も区間賞ではなかったんですけど早稲田記録のタイムを出して最後に意地を見せてくれました。個人の記録で言えば、インカレや関カレでもっと上位入賞してほしいっていう気持ちもあったんですけど、箱根というか駅伝というものに対してのチーム作りっていうものは、短距離の僕ら以上に出来ていたんだろうなと思います。そういうチームのまとまりに関しては、主将だけが引っ張るのではなくて長距離の4年生一人ひとりが率先してチーム作りをやっていたからああいう結果に行けたんだろうなと思いますし、それはすごく僕らが見ていて参考に出来た部分だろうなとは感じましたね。
――ここからは11月のアジア大会について伺います。 大会を迎えるにあたってのコンディションはいかがでしたか?
アジア大会の選考である日本選手権が6月の頭にあって、そこで優勝して内定をして、僕も秋はインカレを最初の試合にしてそこからアジア大会に向けて1本、試合数も少なくして合わせようと計画をしてやっていたんですけど、インカレの後に一度ちょっと足が痛くなったというか、その時は滑液包炎っていう足の症状で、つま先立ちするのような動きをするとアキレス腱の中に痛みが出るような状態でした。ですけど、走りだしたりスパイクを履けば普通に練習できる状態で、9月中は教育実習もありながらもそれなりに身体も動かして国体にも出れて、国体の後は日本選手権リレーに向けてまた400mパートのみんなと走ったり、痛みはありはしたんですけど、練習が出来ないほどではなかったんですごく順調だったんです。
でも、10月の下旬の沖縄でのアジア大会の合宿の時に突然痛みが少し変わって、だんだん別の痛みになってきて、11月の頭からは全く走れない、ジョギングでさえも怪しい位になって、スパイクも履けないし、流しや全力なんてとてもっていう状況になってしまって…。ドクターの方にも色々見て頂いて処置して頂いたんですけど、急遽直すのは難しい状況で、それを日本代表のコーチ陣にも報告はしていたんですけど、やはりそのまま何とかして走れるようにするしかないということで、僕も何とか合わせてはいたんですけど、やはりケガの状態が間に合いませんでした。
今も正直まだちょっと痛みが残っていて、やっと練習がまともにできるようになったくらいなんですけど、自分でもケガをしないように体のケアや練習内容も気を遣っていても、やはりケガは突然来たりもするものですし、ケガをしてしまう時はしてしまうのかなとも感じましたね。
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年末は故郷の熊本に帰省し、家族や友人達とも 会えてリフレッシュできたそうだ。
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――状態が悪い中臨んだアジア大会を振り返ってみての感想や評価は?
アジア大会は自分でも優勝を狙って最高の状態で行きたかったんですけど、それとは程遠く、スタートラインに立てるようにするのが精一杯の状態だったので、結果も全くよくないですし、すごく不本意で悔しいまま終わってしまいました。リレーは日本というチームのブランドもあるので、勝って帰らなければいけないっていう思いもあったんですけど、バトンのミスで予選で落ちてしまいましたし、やっぱり自分の中で個人の走りであったり、リレーやチームに関して何か足りないものがあったのかなと。なので、アジア大会の後は自分の中でもう一回自分自身を見つめ直したりっていうことを考える時間は長かったように思いますね。
――大会を通じて感じたアジアのレベルなどについては?
100mは中国人が勝ったんですけど、200mと400mはまだ18歳か19歳のカタールの選手が勝ったんですよ。カタールは確かにアジアなんですけど、その選手の元々の国籍はナイジェリアで、やっぱりナイジェリアはアフリカですし(笑)、アジアではないので、長距離に関しても、ケニアやエチオピア勢がバーレーンやカタールとかに国籍を変えて出たりしているので、アジア大会っていう名目ではありますけど、やっぱりアジアだけには収まってないなと。確かに勝つのはすごく難しい試合にはなってきているなとは感じましたけど、それでもやはり世界に行くためにはアジアで勝って当然くらいのレベルの力をつけなければ戦えないんだろうなとは感じました。
――2010年度シーズン全体を振り返って感じた収穫や課題は?
2009年シーズンの走りを定着させてから更に次のステップだという風に考えていたので、やはりまずは2009年の10秒0や10秒1台っていうものをタイムとして再現するっていう意味で、タイムのアベレージを上げたりしなければいけないなと思っていましたし、そういう意味で実力をつけていかなければなとは感じていたんですけど、結局それが出来ないまま、10秒1台を一度は出しましたけど、あとは10秒2台も2回くらいで、ほとんどが10秒3くらいで終わってしまいました。なので、自分の目標としていたアベレージを上げるってことにはなかなかいかなかったですし、やはりその根本には技術の定着っていうものが出来ずに、少しふらついたところもあったのかなと。なので、収穫よりすごく課題の方がシーズンとしては多かったんですけど、収穫を強いてあげるのであれば、さっき海外に行った時に自分が感じたっていうことのように、大きな試合に向けての合わせ方というか、試合の捉え方っていうものを少し冷静に見るように出来たのが唯一の収穫とは思います。
<第2回へ続く> 江里口匡史ロングインタビュー 第2回 〜早稲田での4年間〜 (2/16公開)
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