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 江里口匡史選手スペシャルロングインタビュー、第2回のテーマは「早稲田での4年間」。大学での競技生活を1年1年丁寧に振り返って頂くとともに、勉強など学生生活についても話を伺いました。





 
江里口匡史選手プロフィール
  スポーツ科学部4年
  鹿本高校・熊本出身
  自己記録  100m:10秒07
        200m:20秒88

――卒業まで残り僅かになりましたが、4年間を振り返ってみて感じることは?
 4年間を振り返ると「あっという間だったな」と言うしかないのかなと。一年一年が自分の中ですごく濃かったなと感じますし、1年目から4年目までシーズンの最初から最後まで試合がどうだったとか内容まで今でもすぐに思い出せるので、勉強に関しては何も言えないというか言いづらい部分もあるんですけど(笑)、その分陸上に関しては自分が4年間全力を注いで出来たなとは思います。

――ここからは4年間を一年ずつ振り返って頂きます。まず、早稲田に入学した1年目は?
 1年目はまだ18歳で、地元が熊本だったので実際に家を出るっていう風になると、熊本にずっと残りたかったなとも思っていましたし、地元を出ることが自分の中ですごい不安でしたね。でも、その中でこっちに来てまた色々な人と出会って、陸上をすごく支援されている良い環境で出来るところに入れてもらえたので、1年目はもちろん結果も出したいなとは思っていたんですけど、まずはひたすら先輩達について陸上をやってみようと思ってやったのが最初でした。結果としては、インカレは運もあったんですけど優勝出来て、ユニバーシアードにも選ばれて、前半はすごく自分でも納得がいくというか予想以上に良いものが多くて、日本選手権も5番に入りましたし、ただその後のユニバーシアードでケガをしてしまって秋は一度も試合に出れず、日本選手権リレーも10連覇していた早稲田の勝利記録がそこで潰えてしまいました。
 なので1年目は、前半シーズンは何も分からなくてひたすら走るだけだったんですけど、走れなかった秋は自分が走れなかった試合も含めて、早稲田で競技をやっていることの重みを、先輩達からもまた自分でも感じることが出来た年だったかなと思います。

――熊本から上京してきて、生活面などで驚いたことや感じたことは?
 やっぱり電車は便利だなと思いましたね。僕の実家の近くは電車がなかったので。ここ(所沢)からだと40分も乗れば池袋に行けますし。でも今でも電車は苦手なんですよね。特に満員電車はそうですし、立ったままだと足もパンパンに張れますし、座っていても人と人の距離が近すぎるような感じがしてなんか苦手なんですけど、それでも電車はこっちに来てすごい便利だなと。車がなくてもどこにでも行けちゃうんで、すごいなとは思いましたね。

――続く2年目は、出場はなりませんでしたが北京五輪の年でした。
 2年目は1年目の秋のケガの影響があって、動き出したのが1月ぐらいからだったんですよ。それでもオリンピックっていうのは目標であったので、すごく自分でも出たいなと思ってシーズンインしていったんですけど、また4月に足を痛めてしまって、関東インカレでは準決勝で落ちてしまうくらいの状態でしか走れなかったんですね。日本選手権の直前くらいでしたし、やっぱり日本選手権に向けても、正直今の状態でトップや上位に入るのは厳しいだろうなとは自分でも思っていたんですけど、それでもやはり出るからにはやるしかないということで出て、結果は7番で全然選考にかすりもしませんでした。悔しいなという思いもあったんですけど、その自分のオリンピックに向けてやっていた気持ちの度合いがまだまだだなと思ったのがその日本選手権の時で、100mの決勝は早稲田勢が4人いたんですね。木村(慎太郎、平22スポ卒)さんと、木原(博、平22スポ卒)さんと僕の学生3人と、一人OBで小島(茂之、平14人卒)さんがいて、慎太郎さんが3番で、小島さんが4番だったんですけど、オリンピックの選考にかからないっていうので本気で悔し泣きをしている姿を見て、自分の狙っているっていうのが口だけというか表面的だなって、自分に甘いところがあったなっていうのを実感しました。

――日本選手権の決勝が一つの転機になったんですね。
 やっぱり2年目っていうのはそれが一番自分の中で大きい出来事だったというか、すごい印象に残っているんですよね。オリンピックに行けなかったことももちろんすごい悔しかったんですけど、そこで先輩を見て自分の陸上はもっと突き詰めるところがあるなっていう風に感じてから、また陸上に対する取り組みも変われたと思うので、そのおかげもあってか秋にはインカレがちょうど春から秋に移行したときだったのでタイミング良く(調子を)合わせられて、自己ベストも出して勝つことが出来たので、2年目は自分の中で本気でもっと陸上をやるっていう風に心に決めた年だったかなと思いますね。
 あとは、今もお世話になっている治療院の先生にも出会って、そういう人達からも良い影響を受けたり、2年目は出会いにも恵まれ、もっと本気で陸上をやれるなって、自分でも変わろうと思うきっかけになることがあった年でしたね。


 

1年生にして初優勝を果たした
日本インカレの表彰式の様子。

――3年目は世界選手権出場を始め、飛躍の年だったように思いますが。
 3年目は特に色々な出来事もあったなと思うんで、やっぱり一番印象の強い年ですね。2年目に「陸上をもっと」って思ってからはやっぱり自分でも変われたなって思うことがいくつもあるんで、ケガに関しても特に敏感になれましたし、2年生の春先にケガしてからはずっとケガなくやっていたので、それで2年生の冬にケガをせずに練習を積めたっていうのが一番の大きかったですね。この4年間を見ても、ケガをせずに冬季練習を全部積めたのは多分2年から3年に上がるときだけなんですよね。なので、そこで練習を出来たことと意識が変わったこと、あとはチャンスにも恵まれたことで3年目は記録もトントンと狙っていた通りの記録も出て、予想以上の記録も出ながら世界陸上の代表になれました。でもやっぱり3年目の目標は日本代表になることと世界陸上に出ることが目標だったので、いざ代表に決まって出場ってなったら、結局何をどうしていいのか自分でもわからないまま気づいたらあっという間に終わってしまった感じでした。
 なので、やはり出場することだけを目標にしていてはダメだなと感じて、更に自分の意識が世界に向けてステップアップ出来た年だなと思いますし、実力がそれに見合ってついてきたので、次のステップに進める位置に行けた年だったと思います。あとは、秋に小島さんが引退を決めたということで、それもすごく大きな出来事だったかなと思いますね。

――今も小島さんからアドバイスなどはもらいますか?
 今は仕事ですごく忙しそうにされているんですけど、よくグラウンドにも顔を出してくれましたし、去年もシーズン中とかも動きを見てくれたり相談にも乗ってくれたので、やっぱり(存在は)大きかったなと思いますね。それは木村さんも確実に感じていることだと思いますし、やっぱりそういう早稲田のタテのつながりも、ここの良いところの一つだと実感できました。

――続く4年目は日本インカレ四連覇もありましたが、最終年の評価は?
 4年目は学生の試合でまず負けないことと、アジア大会で金メダルを取ることが目標だったので、達成できたのは半分ですかね。インカレ二つと日本選手権は勝てたんですけど、やっぱりアジア大会はダメだったんで、4年目は自分で納得いくものを試合で出して終わりたかったんですけど、そうも出来ず4年間の中で見てもワースト3に入るくらいの不甲斐ない走りで終わってしまいました。状況は自分で分かっていたんで何とも言えないところはあるんですけど、4年目で終わり方が良くなかったかなと。卒業してからも陸上を続けることはできるので、そのためにもここでもう一回気を引き締めなければいけないなと思い返す場だと思えば、まだ少しはこの失敗を次につなげられると思うので、今年の世界陸上と来年のオリンピックに向けてもう一度実力をつけていかなければいけないなと思いますね。

――4年間の結果として、100mの早稲田記録(10秒07)保持者にもなりました。
 陸上は記録っていうのが順位をつける上ではっきり出るものですし、記録は後にも残すことが出来るので、単純にその記録同士で比べることが出来るっていうのは、陸上競技のおもしろさの一つかなとは思います。早稲田は伝統もありますし、その中で早稲田記録の10秒20っていうのは入学前からずっとあったので、4×100mリレーももちろん狙ってはいたんですけど、100mは早稲田記録を作れて、しかも本人(前記録保持者は小島氏)の目の前でその記録を出して越えられたので、僕もすごく嬉しかったですし、あとは4×200mリレーでも日本記録を出すことが出来ました。
 記録を出したときはもちろん自分達も嬉しいんですけど、周りも単純にすごく喜んでくれているなっていうのは何度も感じましたね。インカレでリレーに勝った時とかは、僕は2走をやると3走とバトンしたちょっと奥まで行って走り終わってゴールするのを待つんですけど、早稲田の応援が競技場のスタンドのその(第3コーナー)付近なんですよ。なので、勝ったときはすごく上で喜んでくれるのが見えて、やっぱりああいうのはいいなって本当思いますね。

――元々、入学前の目標はどの辺りに置いていましたか?
 入学前は、地元を出てこっちでやるからにはやっぱりただやっても面白くないので、日本代表には絶対なろうと、日本代表にならないと地元にも胸を張って帰れないかなと思っていました。代表には何とかなることは出来たんですけど、やっぱりそこに行くと欲が出るというか、そこでは満足できずに次の目標もどんどん出ますし、まあでも自分がこっちに来るときに予想していたよりは色々なものを得ることは出来たなと思いますね。本当に視野の狭かった高校時代から、色々なものを見て色々な人と話をして出会えて、陸上競技もまた世界が広がって、そういう意味ではこの4年間は本当に成長させてもらえたかなと思いますね。

 

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(TEXT、PHOTO=岡崎聡)

 

 


 
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