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2、3年目は、4×100mRでは関カレ、全カレ、 日本選手権リレーと2年連続で3冠を達成。 (写真は、大会新記録を出して優勝した08年の 日本選手権リレーの様子)
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――4年間で一番印象に残っているレースはありますか?
そうですね…。やっぱり良かった試合はとても印象に残るのでインカレや日本選手権で勝ったときはすごく印象には残っているんですけど、リレーで勝った時もそうですし、良い思い出の試合はどれも一番かなと思います。でも、負けた時の試合もすごく印象に残っているので、去年で言えば、関東インカレで(中央大に)学生記録を出された時のレースもすごい印象に残っていますし、自分達が出られなかった日本選手権リレーの決勝のレースを見たのもすごく印象に残っていますね。逆に、これが一番ってはっきり言えないくらい一つ一つに全力を注げたなって思えますね。
――4年間で辛かったことや時期は?
辛かったのはやっぱり1年目の夏ですかね。ユニバーシアードの代表になってケガをして、結局個人種目は走らずに帰ってきて、みんなは結果に関しては別に何も言わないんですけど、やっぱりみんなが練習を秋のシーズンに向けてやっている中で自分がなかなかそこには入れない感じがして、そこが一番辛かったかなって思います。陸上をしている中で、ケガしている時が一番辛いですね。走れないので。1年目のあの時期は、集合だけ出て練習を少しやって「もう帰ります」っていう時も今思い返せばありましたし、ふて腐れていたなという感じもありましたね(笑)。
――4年間を通して自分で一番成長を感じる点は?
成長出来たなと感じるのは、やっぱり『視野を広げられたな』とは思いますね。いざ高校生から大学生になるときに、親元を離れて寮で暮らし始めて、自分にとってはそれが初めての経験だったので、そこから色々な人と知り合って色々な話を聞いて、自分の競技力が上がるにつれてまた別の世界が見えてきたり、あとは陸上以外の他の競技のトップレベルの人達とお話をする機会も何度もありましたし、そうやって自分の視野や世界が広がっていくことでものの見方や捉え方を広げることが出来たのが一番成長出来たことかなと。これが人間的に成長出来たって言えるのかは分からないですけど、自分の中で成長出来たっていうのはそこが一番大きいんじゃないのかなと思いますし、やっぱりそういうのがあってこそ陸上競技にも勉強にも活かされていくんじゃないのかなと思います。
――早稲田という環境はいかがでしたか?
早稲田はやっぱりいいところだなと(笑)。もちろん同級生とか、部活以外のゼミの友達とか学校の友達とか横のつながりであったり、あとは縦のつながりもなんですけど、人としてしっかりしている人が多いなと思いますし、やっぱりそこのつながりをすごく重視してくれるんですよね。早稲田っていうだけですごく気にかけてくれる人も多いので、「君早稲田出身なんだね」って言って話しかけてくれる人も一杯いましたし、「自分も早稲田だから応援してるよ」っていう風に行ってくれる人も競技場でも一杯いましたし、そういう早稲田っていう誇りを持っている人達、卒業しても大学の名前があるだけでみんな一つにかたまってやっていけるような雰囲気があるので、そういう縦と横のつながりっていうのはここに来てすごくいいなと思いました。人と人とのつながりが、大学にいるときだけではなくて、大学を出た後もそういった関係がずっと続いていけるのがやっぱりいいですね。
――競走部の仲間の存在は?
本当に人に関しては、先生に関してもそうですし先輩に関してももちろんそうですし、同級生も後輩も、その陸上をやっていく上で関わっていく人達みんなが素晴らしい人たちばっかりなので、本当に恵まれた環境の中にいれたなっていうのはすごい思いますね。そういう人と人とのつながりは大事にしてこれからもやっていかなければいけないなと思います。
――中でも、礒監督の存在は大きいものだったように思いますが。
もちろん陸上に関しては、タイムや成績が上がっていったのから見ても競技力を伸ばしてくださったなと思えるんですけど、やっぱりそれ以外の人間性っていうことに関しての方がもっと成長させてもらえたかなと思います。先生を通して他の分野のコーチや指導者のすごい方達とも話す機会も何度もありましたし、何か社会貢献的なものに対しても積極的に取り組ませてもらうことも出来ましたし、自分一人では出来なかったことをいくつも教えてくれたので、やっぱり自分が視野を広げることが出来たっていうのも大前提としては先生がそういう世界を率先して見せてくれたっていうのが大きかったです。やっぱり自分一人ではそういうのは出来なかったと思いますし、見れなかったなと思うこともたくさんあるので、先生は競走部で言えば礒監督なんですけど、僕にとっては監督と言うよりはやっぱり『先生』だなっていう感じはしますね。
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卒論は、『トップアスリートの少年期の運動経験と現在の競技との関係性について』現役の日本代表選手に インタビューなどをして書き上げたそうだ。
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――陸上以外の部分での大学生活は4年間楽しく過ごせましたか?
そうですね、だいぶ。最初の頃はあまり外出もせず、なかなか引きこもりがちでしたけど、だんだんと生活にも慣れてゆとりが出てくると、色々気晴らしの仕方も自分で出来たり、生活自体はすごく楽しくなりましたね。移動に関しては便利ですし、あと何でも揃ってますし、まあ4年間は楽しく出来たなと思いますね。休日とかも本当に自分のやりたいように使ってやっていたので、練習が終わって寝たいなと思ったらずっと寝てることもありましたし、夜先輩から誘われて飲みに行こうよって言われたり後輩を誘って飲みに行くのも何回もありましたし、そういうのもすごい楽しかったなって。陸上はもちろんやってましたけど、陸上以外でも楽しいことは多かったです。
――よく出かけていた街や場所は?
僕は行くとしたら基本的に池袋ばっかりですかね。電車一本で近いんで。ちょっと新宿は人が多すぎて嫌なんで避けてますし、原宿、渋谷まで行くとちょっと遠いなって感じなんで(笑)。池袋も色々回ってみると面白いんですよ。パルコも色々見てると面白いですし、食べ物もおいしいものを探せばいっぱいありますし、あとは西武デパートの地下とか、友達の誕生日にケーキを買うってなった時に、先輩とかと一緒に行ったこともありますし、池袋も近くで色々探せば楽しいかなと思いますね。
――卒論を含め勉強の部分はいかがでしたか?
教職を最初からずっと考えていたんで、教職を中心にはやっていたんですけど、勉強に関しては、もっと出来たなって思うこととか、もっと熱心にやればよかったなと思うことも多々ありますね(笑)。卒論も正直書き上げるのに精いっぱいだったかなっていうのもあったんで、やり方によってはもっとちゃんとしたものが出来たんだろうなと(苦笑)。ただ、せっかく大学で勉強しているからには、もっと何か自分からがっつく所があっても良かったかなと思います。
――部活との両立は大変だったと思いますが。
エネルギーを正直そっち(部活)ばっかりに注いじゃったかなとも思うんですけど、ただ単位は落とさずに何とか出来たので、良かったかなとは思います。
――9月には教育実習に行かれたそうですが、いかがでしたか?
いやー、やっぱり大変だなと(笑)。教育実習自体はすごく面白い内容で勉強させてもらえましたし、あとは母校でやったので、そういう意味でも僕としても母校で教育実習に行けるっていうのはすごい嬉しかったです。やるからには後輩、生徒達に対しても効果的な事を何かしらできるように自分も色々頭を悩ませながら出来たので、すごく勉強になったなと思いますね。教科が体育だったので全部の学年を見たんですけど、やっぱり学年ごとに学年の雰囲気も違いますし、そういう学年の雰囲気とはまた別に、一年ごとにだいぶ大人に向けて変わっていくんだなっていうことも実感できたので、それはすごく面白い体験でした。自分が学生の頃はもちろん学生ですけど、今回は教師の視点で見ることが出来たので、やっぱり新しい体験みたいなものは多かったなと思いますね。
――将来的に教師の仕事は?
教師は、仕事としてみればすごい魅力的だなと思いましたね。確かに教職は魅力的でしたけど、やっぱり今は自分が陸上を出来る環境で就職させてもらえたんで、今はとにかく陸上をしたいなっていう思いの方が圧倒的に強いので、とりあえず陸上だなと。
<第3回へ続く> 江里口匡史ロングインタビュー 第3回 〜未来へ・・・〜
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