WasedaWillWin.com
 
[競走部] 「2011年度競走部駅伝特集〜挑戦〜」

【主務・副務対談】 主務:福島翔太×副務:卯木研也 Part1


  

 本日から4日連続で、競走部を支えるスタッフさんにウィルウィンが迫ります!
第一弾は競走部の縁の下の力持ち、福島翔太主務(スポ4)と卯木研也副務(スポ3)です。お二人にマネージャー業のイロハから昨シーズンの振り返り、そして箱根に向けての展望をお伺いしました。まさに名選手を生む裏に名マネジャーありと思わせるようなお二人による息の合った深い対談をご覧ください!
第1回目は陸上競技との出会いから競走部、そしてマネジャーへの想いを語っていただきました。お互いに対する熱い「想い」にも注目です。



――まず、お二人の陸上競技との出会いは

 

福島翔太主務プロフィール
      スポーツ科学部4年
      埼玉・早大本庄高校出身

福島翔太(以下福島): そこかあ〜(笑)。僕は地元の中で他の人より足が速かったっていうのと、サッカー部がなかったっていう2つです。
ウィルウィン: サッカー部がない…珍しいですね。
福島: そうなんですよ。ずっとサッカーやってて、チームで勝つのが好きだったんでサッカー続けたかったんですけど、でも諸事情により中学校になくて。それで相対的に足速かったので陸上やろうかなと思って始めました。
卯木研也(以下卯木):僕も小学校の時に学校で一番足が速くて。目立ちたがり屋だったんで、チームプレーで自分の活躍が薄れるよりも、自分が一番評価もらえる個人競技が好きだってその時に思ってたんで、当時足も速かったし、これでずっと続けていこうかなって感じです。

――そこから早大競走部を目指した理由は?
福島: 僕の場合はですね…、付属高校だったんですけど、中2とかで受験を意識し始める頃に箱根駅伝を見てて、早稲田がちょうど弱かった時期だったので、「自分が入って強くしたいなー」って思って。自分の実力がなかったのは分かってたんで、付属高校に入ってできるだけ練習してそのまま早稲田に入ってっていう。まあ結局同期が八木(勇樹=スポ4)とか三田(裕介=スポ4)っていう…。彼らに託したんですけど(笑)
卯木:僕は元々高校で陸上やめようと思ってて。高2まではそれほど記録もなかったんで、「やめようかなあ」と思ったんですけど、その年かな?同じ高校の先輩に三輪さん(三輪真之=平21人卒)っていう先輩がいて、その人が箱根駅伝走ってるのを見て、「自分も箱根の舞台で走りたいな」って思って。その時は中距離やってたので、少し環境も変わって自分の戦うフィールドも変わるけど、やってみたいなっていうふうに。先輩の影響っていうのが一番大きいですね。

――選手時代の夢や目標はありましたか?
福島: もちろん箱根に出ることでした。
ウィルウィン: 具体的には何区を想像?
福島: 下りを(笑)。理由はないですけどとりあえず。
卯木:僕も(箱根駅伝に)出ることが目標でした。正直その時はチームで優勝しようってよりも出ることが一番の目標で。で、出るとしたら僕も6区。下りだし、スピード活かせるし。
ウィルウィン: お二人とも6区ですね。
卯木:ちょっとライバルだったんですけど(笑)。6区なら絶対いけるっていう自信があったので、そこを走りたいなと。

――お二人ともマネジャーに転身したのは2年生の時ですが、その経緯は?
福島:簡単に言ってしまえば足が遅かったからで、結果を残してなんぼのこの組織の中で結果を残せずにチームに迷惑をかけていたため、自分の中でも不甲斐なさとか、チームに申し訳ない気持ちがあって。で、その中でマネジャーを一人出さなきゃいけないっていう時に、「選手として迷惑かけるんだったらマネジャーになって箱根に勝てるならそれでもいいのかなあ」っていうふうに思ったのが、マネジャーになった理由です。周りの同期のみんなも色々と助けてくれました。
ウィルウィン: 同期の仲間への思いはそこでより強くなったのですね。
福島:そうですね。しかも自分がマネジャーになった時に名刺入れをみんなから貰ったんです。「マネジャー頑張ってくれ」みたいな感じで。仕事をする時にいつも名刺って使うじゃないですか。だから毎回「頑張んなきゃいけないよな」って思いつつ…、思いが強くなりました。

卯木:俺ですか?なんかちょっと就活みたいですね(笑)
福島:実際こういう感じだから(笑)
卯木:こういう感じすか。マネジャーになった理由…。じゃあ、就活で言おうと思ってたのを披露して…
福島:聞くわ。
卯木:あの、きっかけは僕が1年生の時の箱根駅伝です。当時は選手として選ばれるわけもなく、ぼーっとしてやってたんですけど、言うなればそんなに箱根に対する思いも強くなくて、「あー出れなかったなー」みたいな感じで。で、終わってみれば早稲田は7番で。その時に「悔しいな」って思って。その時の箱根でチームが7番になった事が契機で自分の中で思いが変わってたんです。「なんで7番だったんだろうなー」って思った時に、選手のレベル自体はすごく上がっているのに勝てないのは、その中で動かしてる人間に問題があるって思って。
ウィルウィン: なるほど…
卯木:これは就活用なんで(笑)。とりあえず問題があると思っていて、で、ちょうど2年になったら主務決めも始まるんで、その時に自分の役割というか、「組織の中で自分がどのポジションに立つのが部にとって一番プラスになるかな」って考えた時に、自分が(マネジャーに)なることで部を良くしていけるっていう自信もありましたし、自分しかいないっていう変な使命感もあって。競技レベルは低かったんですけど、1番低いわけではなかったんで、(競技者として)続けることはできたんですけど、組織って役割分担が大事だと思ったんで、自分がマネジャーになって部を動かしていく立場になった方が部としては上手く成長できるって思いました。
ウィルウィン: 就活を終えた先輩から見て今のコメントはいかがでしたか?
福島:ちょっと長かったですね(笑)。
ウィルウィン: ちなみに福島さん、内定おめでとうございます。さすがですね…
福島:完全にノリで、はい。でも運が本当に良かったです。
ウィルウィン: ではその福島さんから卯木さんに就活アドバイスを
福島:…もうちょっと髪切った方がいいかな。
卯木:いや限界っすね、これ。
福島:そういえばこの前切ったんでしょ?…これ?

 

卯木研也副務プロフィール
      スポーツ科学部3年
      石川・星稜高校出身

卯木:思ってたのとちょっと(笑)。表参道で切ってるんですよ(笑)
福島:お洒落なんですよ、彼。
卯木:こだわりあって。

――マネジャーになられてから、選手に戻りたいと思うようなことはありませんでしたか?
福島: 未練はもちろん…。僕の場合は突然競技生活が終わったので、未練はもちろんありましたし、最初の3ヶ月とかはマネジャー業は全然つまんなかったですし、「やりたくないわ」っていうて体でやってたんですけど、でも、今自分のやってる事がどういう事に繋がっていて、どのようにチームの結果として残ってるかっていうのが少しずつ見えてくるにつれて、自分の色を出して頑張ってみようかなという。
ウィルウィン: マネジャー業が「つまらない」から「頑張ってみよう」に変わった契機は
福島:契機はですね…、3点あります。って違うか(笑)
卯木:ロジカルになった(笑)
福島:えーっと、あれですね、7月に(マネジャーに)なったんですけど、9月になってすごく仕事を任されたんですよ。4年のマネジャーと僕だけ残って、他のマネジャーはみんな合宿行っちゃって、やるのが2人しかいなくて。そうなってくると雑用を全部僕がやることになるじゃないですか。その時に、「この2週間で結果残そう」と思って。車の出しから何から全部やって、そしたらその時の上司から信頼を得ることができて、そこからどんどん仕事を任されるようになったのが、ちょっとずつですけど楽しくなった原因の1つです。
ウィルウィン: では2つ目は?
福島:2つ目は…(笑)、チームからの信頼かな、と。というのも、僕の代は口で言ってくれる人が多くて、「福島最近辛そうだけど大丈夫?」とか「福島頑張ってんじゃん」みたいなこと言ってくれる優しい子たちがいっぱいいるので。本当に。それが励みになって「頑張ろう」って思います。

ウィルウィン: 卯木さんはいかがですか?
卯木:未練…。僕の場合は未練はあんまりなかったです。っていうのも、箱根終わってから徐々に、「マネジャーになろう」っていう準備というか、心の中で少しずつ変わっていったのがあったんで、いきなりなわけじゃなかったからっていうのもありますし、あとは、僕が勝手に決めてたんですけど、「最後のレースで絶対自己ベスト出して終わろう」って自分の中で決めてて。「競技で成績が残せないからマネジャーになった」って思われるのが一番嫌で。なので「結果残してからやめよう」っていう気持ちで練習して挑戦して、それで実際そのレースで自己ベスト出せたんですよ。そういう達成感もあって、結構もうきっぱり、「っしゃ、マネジャー!」っていうような感じで切り替えはできましたね。その当時は。
ウィルウィン: 「その当時は」ということは…
卯木:やっぱりマネジャーやっていくとふとした瞬間ありますよ。「走りたい」って思ったり、自分が箱根走ってる姿を想像したりする時が。「もしやってたら…」って想像すると、「いけたんじゃねーかな」とか思う時はあります。

1/3
(TEXT=矢野真由実、PHOTO=磯綾乃)
 


 
WasedaWillWin.com HOMEへもどる