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スポーツの教壇から特別企画 太田章インタビュー

趣味は引退とカムバック?!

太田章先生
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80年に右ひざの半月板をとって、モスクワがだめになったのでそれをきっかけに元々悪かったひざを手術しようっていうことになって。87年はソウルの前の年、コーチだったんですけどその間に左ひざ痛めちゃって。医者に治すだけでいいのか、痛みをとるだけでいいのかって聞かれるんですね。だからいやっ来年ソウルあるし、もう一回試合できるようにしてくれって(笑 やるかもしれないしっていったら本当にでることになって。で、でたらまた銀メダル取れてね。趣味は「引退とカムバック」とか言われるくらいなんだけど(笑 バルセロナ直前までは本当に引退状態でアメリカに家族つれて勉強しにいったり試合にはでてないわけで。オリンピック予選の直前に日本に帰ってきて終わったらまたアメリカに戻るみたいに。バルセロナの後は本当に引退表明したんだけどアトランタ直前に5度目のオリンピックは4度出た人間しかできないってカムバックして。最後負けちゃうんだけどね。それで完全に引退とかいいながら98年にはマスターズでちゃったしね。その年はボロボロに負けちゃったんだけど。99年のときはすごい練習していって。優勝したわけですけど。一回世界の頂点に立ちたいと思ってたから、やっぱり世界一になると嬉しいですよ。オリンピックの銀メダルより相当感動があって。

未だに社会人や学生とやっても負ける気がしないからね(笑 彼らをみててはがゆいっていう思いがあります。気持ちはまだ現役だと思う。引退しましたイコール世界のトップレベルの選手の技なんてどうでもよくなっちゃうわけ。そうじゃなくて、常にトップの技を研究してできるようになりたい、教えたいって思ってるから引退とは違うと思うんだよね。

 倒れても倒れても起き上がり、常に上を目指す。そして栄光をつかんできたレスリング人生。天才は努力家でもあった。そして今も昔も、これからも早稲田を愛している。しかし、ただやみくもに早稲田、早稲田というわけではない。一歩引いたところから早稲田のスポーツを、大学スポーツを、スポーツ文化を見つめる。

早稲田スポーツを愛するということ

レスリング
 

奥島元総長は校友会の全国周りをしているときに、いつも早稲田のスポーツを強くしてくれっていわれたわけですね。早稲田に愛着がある人ってやっぱり早稲田のスポーツを愛する人たちが多くて、奥島前総長は早稲田スポーツを支える人間がいかに早稲田を愛してくれているかっていうのがわかったんですね。それが早稲田のスポーツに力をいれようというきっかけになったんだと思います。

僕は、モスクワのとき、早稲田の学生として出たいって卒論かかない留年をして5年目は授業がない学生として代表になったんだけどボイコットで出れなかったんです。今まで早稲田に愛着があって早稲田を希望してきた人間はそれなりに苦労して入ってきたわけです。でも今のスポ−ツ推薦に関していうと、結局自分自身がセールスの対象になってるわけで、早稲田なんかどうでもいいっていう学生が中にはいるわけ。入ってきたけど授業には出ないし、卒業もさせてくれるだろう、みたいな。本当は早稲田に入ってきたんだから早稲田でしっかり勉強して早稲田で友人を作り早稲田の中でいろいろな経験をして早稲田に対する愛着をもって生活していかないといけないのに、入れてくれるならはいってやろう、みたいな。このへんは実際にはよくないと思いますね。

本来ならものすごい苦労して何浪もして入ってきたい人間がいっぱいいて、でもそうやって苦労して入ってきたからすごく愛着があって、あのえんじのユニフォームが着たいって、そう思う気持ちがすごくみなぎる闘志を与えてくれて、そういうのがどこかに残らないとね。簡単に入れるは、卒業させないでドロップアウトでは本当はよくないですね。そういうシステムは変えていかないと。そういう点ではスポーツ科学部はいろいろな形で試行錯誤してやっていくと期待していますけど。

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(TEXT=山下葉子・PHOTO=長友亮太)

 

 


 
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