編集者より「研究内容の紹介」を要求された。ここでは、日本サッカー界の名選手・中田英寿選手の「君が代不唱問題」を事例に、思想を思想史的に見ることについて述べてみたい。
中田の行動
国際試合前に行われる国歌斉唱で感激に顔を紅潮させながら「君が代」を歌う選手のなかに混じって、中田選手だけが一人歌わないでいることが昨年(97年)話題となり、次の批判が投げかけられた。1「チームワークを乱す行為だ。口だけでもパクパクしていればいいのに」という好意的な批判から、2「生意気だ。傲慢だ」という感情的批判、そして3「愛国心に欠ける」という国家主義的批判までのたくさんの攻撃に対して、彼は、「試合前に歌う歌ではない。気分が高揚しない」とそっけなく応じた。私はこれには非常に驚かされた。(その後中田は、心境の変化で唱うようになったと聞くが今はこれには触れない)。彼の一見反逆的行動を我々はどのように理解すべきなのだろうか。
「権威」に対する従順な行動の慣習
人間の行動はその場の雰囲気(空気)に大きく左右されるものである。空気に逆らうことがどんなに難しいかは人の知るところだが、日本人とて皆が国歌(君が代)を唱う時に、一人唱わないということは、戦前であれば「非国民!」という強烈な批判が浴びせられ、国歌=天皇への反逆を意味する大罪であった。思想史的に見ると、遠くクリスチャン・内村鑑三不敬事件を契機に、しだいに人々がこうした反権威的行動をとることは極めて困難な状況が現出したのである。日本の敗戦によって戦後の民主主義が開花したが、明治以来、70余年に渡って日本人の心性に浸透した「権威」に対する従順な行動の慣習は、逆らいがたいものとして今日なお多くの人々を呪縛しているといえる。→(2へ)
|
TEXT=ししだふみあき
1949年生まれ。
専門分野/専攻分野:武道・スポーツ思想史。 担当科目:スポーツ思想史・武道論・武道文化論
|
|