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    思想史から観たスポーツ(2)
         人間科学部報1998.11.16発行より
     
TEXT=志々田文明(人間科学部教授)

事大主義的事なかれ主義の弱点

 しかし、内村が、思想、信仰の自由の束縛には反対したが同時に愛国者であったように、また、国旗に礼とか国歌斉唱とかの儀式的行動をとる者が、戦場などで必ずしも愛国的勇気ある行動をとらなかったように、儀礼的行動に忠実かどうかによってその人間性を評価できるものではないことは自明といえる。中田の反逆的行動に対する上述3の非難はあたらないのである。次の2の批判は、タテ社会の秩序のなかで、上長にへつらい、下の者に威張る者のよくする言葉ではないか。自分が決してできない、勇気ある行動をする者への「妬み」がこの言葉を吐かせ、それによって自己の精神的安定をはかろうとするものであろう。1への批判は私を含む調和型の人間がよくする言葉である。ここには明らかに秩序と権威への妥協があり、事大主義的事なかれ主義の弱点がある。

思想の社会と文化との結びつき

 三つの種類の批判には、共通する弱さがある。思うにそれは、「権威を持つ価値」ヘの脅えではないか。中田は沢山の人々の前で、その価値のシンボルとしての国歌斉唱を、何事もないかのようにさり気なく拒否したのであるが、それは恐るべき勇気といえる。日本史の中では、戦国時代や幕末の動乱の時代に、中田にみられたような時代の支配的権威に屈せず、自由に振る舞う人士が多数輩出し、勇気ある行動によって新しい時代を切り開いてきた。中田の抵抗の論理は、自分がサッカーをするためには「君が代」は不必要、という「機能(する)価値」に基づいていた。試合の前に「君が代」が必要ないのは実は全く当たり前のことであろう。その当たり前のことを、当たり前でないとする根拠は、国家のシンボルという「権威価値」には儀礼的に従うべきだとする価値観に基づいている。その批判の是非と中田の行動の意味は、スポーツにおける儀礼的強制と自由の問題を、少なくとも近・現代の思想史の流れの中で考察しなくては正しく理解できないだろう。このことは思想というものが社会と文化に密接に結びついていることを教えてくれる。

終わりに

 ところで、現代日本そして日本人には探求力となる思想が欠けているといわれる。国際化社会の中で通用する新しい伝統思想が求められており、日本武道やスポーツの中にそうしたものを探っていこうとするのが、私の研究の一つの柱である。

 

TEXT=ししだふみあき
1949年生まれ。
専門分野/専攻分野:武道・スポーツ思想史。 担当科目:スポーツ思想史・武道論・武道文化論

 

 



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