早稲田大学所沢キャンパス。人間科学部があるこのキャンパスは、自然に囲まれた”エコ・キャンパス”だ。人間科学部で運動生理学を研究されている中村好男教授に所沢キャンパスの魅力を聞いた。都会の喧噪を忘れさせてくれる、西早稲田キャンパスとは一味違ったワセダの楽しみ方がここにある。
所沢キャンパスの奥深さ
キャンパスの裏手(北門から南門に向かった途上の右手の高台上)に金仙寺というお寺があり、そのとても小さな境内に一本のしだれ桜がある。四月始めには見事な花を咲かせ、近郊の名所となっている。その降り注ぐ花びらの下にたたずんでいると、「こういうところで腰掛けながら静かに酒を飲みたいものだ」という思いに駆られる。
「花見で一杯」とはこういうものかとも思う。そのまま戻らずに境内を突き抜けると、路端に藁葺きの東屋がある。いったい何年前からこの地に佇んでいるのだろうか。そんなことを考えながら東屋の路地を右に進むと、右手の民家の表札に「三ケ島」と記されている。なんと、三ケ島の地の「三ケ島さん」の家だというわけだ。じつは、この旧家は、中氷川神社宮司の三ケ島家で、その隣の林が三ケ島家から分家した三ケ島寛太郎氏(初代三ケ島小学校校長)の屋敷跡なのだという。その娘の三ケ島葭子(よしこ)さんは有名な歌人だったらしい。三ケ島寛太郎の長男は左朴全(ひだり・ぼくぜん)さん(本名・三ケ島一郎)というコメディアンで、金仙寺の裏手にその墓所がある。
先の東屋を右手に進まずにまっすぐ道なりに行くと、坂道となり、山の右手に谷が広がる。この高台は「比良の丘」と呼ばれ、市内で一番の景勝地なのだそうだ。その名前も知らずにここを訪れた学生が、この地を「ハイジの丘」と名づけた。そう言われてみると、あたかもハイジが出てきて飛び跳ねそうな雰囲気が確かにある。ちなみに、この谷底には小さな池がある。なんでも「堂入池(どういりのいけ)」といって、かつては灌漑用の池だったらしい。でも今は、早稲田大学のキャンパス敷地の端で放置されたまま、密かに「自然」を主張している。
キャンパスを歩こう、小手指を歩こう
この地に所沢キャンパスが開校されて十余年。毎年幾人もの学生が入学し、そして卒業していく。その間、各々に学を修めて巣立っているのだろう。でも、いったいどれほどの学生が「この地」を知ってきたのだろうか。私も、何年間もこの地でろく禄をは食んで所沢キャンパスのことはずいぶんと知ったつもりになっていた。ところが、キャンパスから奥に一歩足を踏み出してみると、新たな発見に驚かされる。先の金仙寺や三ケ島さんの旧家だけでなく、山之神(やまのかみ)神社や八幡(はちまん)神社に行くと、当地に住み続けた500年間の人跡が感じられる。さらに、歩を進めて入間市にある「緑の森博物館」に行くと、古来から生き続けている命の息吹とともにその「博物館」を開発した最近の人為をも痛感する。翻って、キャンパスから小手指駅に至る道筋にも、様々な名所がある。新田義貞が鎌倉・北条家と戦った「小手指ケ原古戦場跡」やその「忠誠の誓いの橋」(誓詞橋)は、バスに乗っていてもその名前を伺うことができるが、義貞が折陣所を置いたとされる「白旗塚」や「古戦場碑」を目にすると感慨も大きい。また、太平記の武蔵野合戦で足利軍が戦いに際して見方の目印とするためにえびら箙(矢を入れるつぼ)に挿したという「箙の梅」の木は、大日堂と狭山湖入口の間のバス通りの近くにありながら、バスからはわからない。バスからわかる「北野総合運動場」にしても、その奥行きの深さは降りて歩かなければ実感できないだろう。そもそも、小手指駅からキャンパスまで歩いて何分かかるかを知っている人はどれほどいるのだろうか。私は、ある春の昼下がり、(バスが無かったので)試しに歩いてみたが、たったの45分。バスを待つはずの時間で着いてしまった。→続く
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TEXT=なかむらよしお
1957年生まれ。
教育学博士、早稲田大学人間科学部教授
専門分野/専攻分野:体力科学/運動生理学。担当科目:スポーツ生理学・スポーツ科学概論・測定評価論
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