6月22日(金)の講演会出演を記念して、伊東武彦編集長に2つの異なるテーマで寄稿をしていただきました。第1回のテーマは「大学サッカー」です。以前は日本サッカーにおいて重要な役割を担っていた大学サッカーも、現在ではJリーグの影響もあり影が薄くなっています。そんな大学サッカーを伊東編集長はどう見ているのか、またその将来についてどう考えているのか、率直な意見をいただきました。
これは大きな声では言えないのだが、ここ数年、大学レベルのゲームを実際に取材する機会がない。編集部の責任者になって表に出て取材をすることが減ったこともあるが、誌面で大学サッカーを扱うこと自体が少なくなっている
15年前の駆け出し時代は違った。現在の国立科学センター西が丘競技場には、頻繁に足を運んだ。Jリーグ時代はまだ遠く、取材するゲームの数自体が少なかった。週末のゲームのスタジアムには主だったサッカー記者が集まることも少なくなかった。そのころはまだ、日本リーグと高校サッカーの間にはさまれていたものの、日本リーグ、日本代表へと階段を上がるステップとしての位置づけは失っていなかった。
そのころ、筑波大学に、潮という選手がいた。恵まれた体格に理知的な目をしたミッドフィルダーで、「都立新宿高校出身」というアナウンスが、同じ都立高出身ということで妙に耳に残ったものだった。守備的なポジションあるいはディフェンダーをこなしながら4年生の秋にはレギュラークラスに成長した。卒業時には古河電工とマツダに声をかけられたと聞く。
数年後に彼と再会したのは、意外にも記者席でだった。トップレベルには進まずに朝日新聞社の入社試験にパスして、運動記者になっていたのである。
潮記者とはその後、93年ワールドカップ予選など多くの大会の現場で一緒になった。まじめで一本気の性格だが、経験主義に走らず、冷静な目でサッカーを見つめていた。まだ30歳前後だったから、熱い部分も持っていたし、彼とのサッカー談義は飽きなかった。
現在では朝日運動部のサッカーキャップとしてけれん味のない立派な仕事をしている。この春には元日本代表監督でコンサドーレ札幌を率いる岡田武史を描いた初の著作を表した。30歳代半ばを過ぎたが、いまでも現場で会えば親しくさせてもらっている記者の一人である。
朝日には同じく筑波大出身でユース代表の経験もある忠鉢信一記者もいる。これも留学経験や自分の現役時代の経験を生かして活躍する熱心な記者である。
なぜこんなことを書くかというと、Jリーグなどトップレベルへの人材供給源としての使命を終えた感のある大学サッカーがこれから送り出すことのできる人材の一つのヒントになると思うからだ。
言うまでもないことだが、大学サッカーの選手には勉学の場が開かれている。一時は、「回り道」とか「ぬるま湯」とか「中途半端」という陰口を叩かれたものだが、現在では本気でトップレベルを目指す選手は大学の門をたたくことはなくなっている。だとすれば、そこにいるのは指導者などの志を持った学生か、トップレベルでやる自信をまだ持てない選手なのだろう。
だったら、その「中途半端」さを利用してしまえばいい。これは一般の学生も同じなのだが、この年代で迷いがあるのは当たり前である。しかしサッカーが嫌いな学生はサッカー部には入らないはずだ。現役では限界を感じることがあっても、道はいくらでもある。
幸い、彼らの前には生きた教材がいるし、研究室にいけばふんだんに資料もある。サッカーを学ぶのはピッチの上だけではない。勉強をすれば道はさまざまに開ける。実際に現在の日本サッカーの強化の枠組みを作った日本協会の強化委員会のメンバーは、加藤久、田島幸三、小野剛らをはじめとした大学人たちである。日本代表のスカウティング部隊にも大学の研究室出身のメンバーがいる。彼らは必ずしも選手として成功した人ばかりではない。
アカデミズムは幅広い視野の獲得をもって武器になる。大学は、資料とピッチで学べるまたとないチャンスなのである。指導者になるもよし、強化を体系的に学ぶもよし。ジャーナリストを目指すもよし。モラトリアムを逆手に取って、道を探ればいい。
大会の成績も大事だが、大学サッカーが見直されるとすれば、そうした幅広い人材の供出が評価されるときだろう。スポーツは体験的に学ぶものであるが、それがすべてではないのだから。
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