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2004/12/9 [米式蹴球部特集] 挑戦者たち〜THR GREAT CHALLENGE〜

「シーズンを終えて」 村井雄太選手インタビュー


 

チームの大黒柱であった。


前のページより)
――今年、チームメイトに訴えてきたものはどんなことですか?
 勝てるという気持ちもそうですけど、ぼくがやってきたのはきついシーズンでも常に前を向いて、日本一という目標があって、そのためにこの試合に勝つという強い気持ちを持つということで1年通してやってきたんですけど。ただ、結果が出なかったことでどうだったのかな、と。

――春にお話を聞いたときには副将の存在が大きいとお伺いしましたが、周りのサポートという面ではこの1年どうでした?
 サポートについては…、今年、ぼくが他の代に負けてないなと思うのは、まとまりと自覚ですね。頼れるスター、引っ張るアスリートがいなかったので、一人一人が自覚を持ってやってきたというのが自信を持って言えることなんですけど。そういう面での副将の存在は大きかったです。

――そうですか。逆に、今年これが出来なかったな、という部分は?
 そうですね…。OLとして思うのは、最後の中央戦はOLで負けたようなもんじゃないですか、ランが出なくて。1年2人・2年が1人いるというOLの布陣で、練習のとき思いっきり出来る方向に持っていければ良かったな、と思いますね。

――主将という仕事に関しては?
 もっと絶対的に引っ張っていけたらな、という事ですかね…。うーん、よく分かんないです。

――学業との両立は大変でなかったですか?
 学業は…授業は適度に出ましたけど。9割アメフト、1割卒論という感じでしたね。

チームが変わった甲子園ボウル

――この4年間を振り返って、村井さんが一番印象に残っている事は何ですか?
 2年の時に甲子園に出て、次の年のチームの目標が「日本一」だったんですよ。そこで明らかにビッグベアーズが変わったというのがすごく大きい出来事でしたね。2年の時の目標が「関東制覇」だったんですけど、ぼくらからしてみれば1年の時にプレーオフに出場していなかったので、出来るわけないじゃんという気持ちだったんですよ。


 

2年前の甲子園ボウル。ここからチームが変わった。

――それは最初の時期だけですか?
 最初の頃だけでなくて、リーグの途中までそうでしたね。途中でリーグ戦で2敗して。でも、プレーオフに行けて法政にも勝って、それで関東制覇出来たんですよね。出来るわけないじゃんと思っていた目標が実現できて、次の年に「日本一」という目標になったことを自然と受け入れられたんですよね。1年の頃と比べて意識の面で根本から違うチームになったんだな、と思いましたね。実際、最初の2年とあとの2年でチームとしての意識ががらっと変わったんで。その変わっていった何ヶ月間が印象的でしたね。

――その変わっていった時期はどういう気持ちでした? やれるという手ごたえはありました?
 いや、常に半信半疑でしたね。(甲子園に)行けちゃったという部分もありますし、その後は日本一になるというのを目標にしてたんですけど、課題が次から次に出てきましたし。春のオープン戦では立命に負けちゃったりしましたしね。

――今年も半信半疑になったりは?
 さすがに無かったですね。いけるもんだと信じてやってきたんですけど、その分準決勝で負けちゃって、気持ちの準備が出来てなかったんですよね。ぶった切られちゃったというか。正直、悲しもうにも悲しめなかったですよ。甲子園にまで行ければまだしもなんですけど。準決勝に勝って、またそこで上手くなって、で、決勝に行こうという感じでしたしね。だから…はい。
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(TEXT=田村拓実、PHOTO=横山真弓、近藤優美子、田村拓実)
 


 
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