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長崎県サッカー協会小嶺忠敏会長インタビュー

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練習中は選手のプレーをひとつひとつ丁寧に見ていた

――生徒の心を掴むのに大事なことは何ですか?
 やっぱり指導者がピシッとして毅然としたポリシーとを持っておくことですよ。指導者によっちゃ言うことは立派なこというけれども、行動が伴っていないことがある。自分が素晴らしい師であり、人生の師といわれるような行動をしなければならない。朝練習などでも一秒たりとも指導者は遅れてはいけないんですよ。私は朝練習には一日たりとも遅れたことはないですよ。しかし若い指導者は堂々と遅れてくる。自分がピシッとしてね、生徒が後姿を見て育つということをよく考えて行動しなければいけないですよ。うちの監督はすごいわと言われないとね。やっぱり僕は何でもすごいっていう選手になって欲しいね。あいつのシュートはすごいな、あいつのヘディングはすごいな、あいつのドリブルはすごいなとかね、そのような人間になってほしい。これはすなわち個性ですよ。ある選手はうまいというんじゃなくてすごくうまいなとかね、すごい指導者とかね。そんな人間、すごいという表現が大事なんですよ。

――U―17の日本代表をやられている当時の選手などがいま活躍されていますね?
(松田選手(現横浜F・マリノス)をFWからDFへコンバートしたことについて)
 あいつはトップじゃなかった。あそこ(前橋育英高校)の監督は、僕が島原商業の時の教え子だから、どうだって言ったらフォワードですって。いや、俺から見たらあれはセンターバックだと思うよ、お前がもしセンターバックに使うということであれば代表合宿に呼んでみたいと言ったんですよ。というのは、やっぱり同じ考えでやらなければならないよね。代表でディフェンダー、自分のチームでフォワードだったら一貫性がないからね。足元がうまくても、守備は組織だから結局水漏れがしますよ。どうだって言ったら一週間くらいして先生の言うとおりセンターバックでやらせてくださいっていう電話がありましたよ。
(中田英寿選手について)
 いいやつだったよ。あれはやはり高い目標を持っていましたよ。てっきり頭いいから大学に行くと思っていたから、どこの大学に行くんだって聞いたら僕はプロですって。あんなにものを堂々と言えたやつは、あの時の代表であいつだけだもんね。
(宮本恒靖選手(現ガンバ大阪)について)
 多くを語らないんだけど、リーダーシップがあったもんね。僕はキャプテンってすぐに決めたもん。U−19もオリンピックもキャプテンで、すべてのカテゴリーでキャプテンだったでしょ。あいつは本当に足も遅いんだよ。今回のワールドカップなんてあいつで負けたみたいなもんだよ(笑)。しかし、その賢いプレーとリーダーシップを持っているというのはなんともいえないね。

ひとつひとつの言葉には重みが感じられた

――現在長崎ではVファーレンというチームがJリーグへ向けて活動していますが?
 もちろんJ1に入ることが夢です。長崎県民の夢を達成しなければならないし。そんな地域の皆さんに支えられるチームを作らないとね。J2でも行ったら地域が活性化して明るくなりますよ。そして皆さんの仲間意識が出てきますよ。でも、これから一番大事なのは資金作りですよ。この辺は大企業もなんにもないからね。だから、長崎は長崎なりの奉仕先を見つけ出さなければならないね。

――最後に先生自身の目標を聞かせて下さい。
 長崎県を明るくさせたいですよ。そして、非行少年が非常に多いから、サッカーを通じた健全育成、これをやりたいね。


 お忙しい中で快く取材に応じて下さった小嶺先生。サッカーの指導だけに終わらず、教師としての教育理念をしっかり持っているところに指導者としてのあるべき姿を垣間見たような気がした。この取材で協力をして頂いた小嶺先生並びに国見高等学校の先生、コーチ、選手の方々に深く感謝を申し上げます。

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関連URL
長崎県立国見高等学校公式サイト
長崎県サッカー協会
早大ア式蹴球部公式サイト


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(TEXT、PHOTO=村山裕太
 


 
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