#3 早稲田と原田 2001箱根編
原田は、昨年区間2位の記録を残した4区に再び起用された。思いもしなかった突風が選手を襲ったこの日、3区久場から11位でたすきを受けた原田は、トップとの差6分55秒を跳ね返すべく、戸塚中継所・花水レストハウス前をあとに一路、小田原中継所・鈴広前ヘと走り出していった。
原田の箱根が幕開けた。
「早稲田大学4区の原田、ワセダ魂を見せてやれ!小田原で待っている。 早実からの友人、早大庭球部・神原一光 」。たすきリレーと同時にNHKラジオにて放送された私の応援メッセージが原田には届いてほしい…。ラジオ片手に沿道で待ち構えていた私にも激しい風が当たっていた。「この風では、記録より、我慢のレースができるかどうかが焦点。1月にしては高い気温、給水が重要。」との実況に、大丈夫かと心配もした。しかし「原田ならやってくれる」そう信じていた。
走り終えた原田の表情からは、明らかにもどかしさが伺えた。中継所から宿舎までの3キロ近くを本来ならば、車で移動するが、原田は歩いた。私の同行も受け入れてくれた。つい30分前まで物凄い形相で走ってきたコースを徒歩で逆戻りする。原田は一歩、一歩を冷静に振り返ろうとしたのかも知れない。選手がすべて通過し、沿道を応援する観衆が誰もいなくなった歩道を、付き添いの後輩達と歩いていった。「朝、天気を見て風が気になっていた」。向い風をもろに受けながら走った道を、今度は追い風にあおられながら歩いている…。
|
|
|
写真は今年の箱根駅伝のもの。小田原中継所直前、エンジの旗に振られながら最後の力を振り絞る4区原田。
|
.
|
原田の3年目
頭脳派ランナーとして、準エース格の一人に成長した原田だったが、この日の風には苦しんだ。昨年より、6分以上遅いタイムに「今日は何も言えない」の一言。「今日は誰が走ってもつらかったよ」という同僚で今回、原田のサポートをかってでた櫻井の言葉にも、原田は、ただただ口を噛むだけだった。
「本来なら、もっと俺ががんばらなきゃいけないのに…。風にまけるのは俺の力がないだけ」。
原田は3年目を「ケガに苦しみ、昨年より2000キロほど走行距離が足りなかった。けれど、がんばった」と振り返った。出たレースもたったの5回。記録会1回、全日本大学駅伝の予選、日本インカレ、出雲駅伝、府中ハーフだけだった。普通の選手からいっても明らかに少ない数だ。「不安を抱えずに走ったのは1回もない」そんな中で臨んだ箱根だった。
来年へ向けて
風の中での区間8位の走り。区間賞を狙った今回だったが、それはならなかった。早稲田も一昨年に続きシード落ちの屈辱を味わってしまった。9位とはわずか30秒差。酷なことであるが、一人ひとりが3秒以上早く走っていれば…。いや、勝負に「たら、れば」は存在しない。
原田は幾度となくどん底から這い上がってきた選手だ。原田に付き添った後輩は言う。「このままで終わって欲しくはないです。原田さんなら絶対やれます」。
「原田ならやれる、原田ならやってくれる」。
原田の箱根が終わった。
|