早稲田のスポーツの選手・関係者の素顔を、 ワセダウィルウィンプロジェクト独自の取材でお届けします。
2000年12月24日、早稲田は関東学院大に敗れ、2年連続で大学選手権ベスト8で姿を消すことになった。これに危機感を抱いたラグビー部は監督に1990年の早稲田最後の大学選手権を制覇した時の主将である清宮克幸(33)を迎えた。かつてない期待を背負って荒波を漕ぎ出す2001年度の早大ラグビー蹴球部。左京新主将に今期の展望および目標を伺った。
夢を決断した学生Jリーガー 「今しかない」。ア式蹴球部のエースストライカー横山聡は、学生最後の年を目前に決断したJ2大宮アルディージャへの入団についてこう語った。
バレーボール部の石倉弘士(人1)は物凄いルーキーだ。今春行われた関東大学2部リーグで、入学早々サーブ賞と新人賞のタイトルを獲得するという鮮烈なデビューを飾ったのだ。その活躍もあって部は1部昇格も決めた。一躍チームの主軸となった石倉は、186センチというバレーボール選手としては決して恵まれた体格ではないが、垂直飛び105センチという持ち前の「バネ」でコートを飛び回る。
21世紀初の日本一に向けて絶好のスタートを切った庭球部。学生最後の年、主将としてチームを牽引する小林真吾(人4)は”思い”の強い選手だ。とりわけ話す方ではないが、テニスの話になるとだれも止めることはできない。なにを話していても、最後は必ずテニスの話題になってしまう、”語る”小林の姿が、そこにあった。
「 世界の○○」。こういった名を持つ早稲田大学のOBは、驚くほど多い。スポーツの世界でもしかり。野球、サッカー、ウインタースポーツ・・・。早稲田から世界の舞台にはばたいた選手がたくさんいる。しかし、世界的なプレーヤーが、引退後に早稲田に入学してくる」。このようなパターンは聞いたことがない。
西武新宿線東伏見駅前から広がる、東伏見総合運動場。「フシミ」と呼ばれるこの施設は、体育の各授業が行われるほか、野球部、庭球部、ラグビー蹴球部、ア式蹴球部などが練習場を構え、早稲田スポーツの拠点だ。その「フシミ」を語る上で、どうしても知っておきたい人物、この2月で開院5年目を迎えたその”センセイ”には、駅前徒歩1分、鳥居をくぐると会うことができる。
その華やかに見える演技には、一言では語り尽くせない努力と苦労が隠されている。常に危険と隣り合わせの演技。「怖い」はタブーとされるこの世界において、彼女たちはいかにしてこの恐怖心を乗り越え、選手達に満面の笑顔で応援し続けるのか。
究極という名前を持つこのスポーツは、そもそもアメリカの大学生の遊びから始まったそうだ。 「アメリカンフットボールとバスケットボールを混ぜたのをフライングディスクでやってみようとしたのが初まりなんです。ただ、タッチダウンの代わりにディスクをキャッチすると。」
「競走部に入る」。トライアスロンで昨年、関東学生優勝・全日本学生準優勝の輝かしい実績を残した妹尾善久は、なんと入学直前までそう思い描いていた。中・高と専門は陸上の中距離。「そこそこ走れたので周りにも勧められた」。
99年春以来の優勝を勝ち取る為に、エースとして獅子奮迅の活躍が期待されているのが和田毅投手だ。早稲田の左のエースナンバー18を背負い、今年も先発の柱として期待されている和田投手に語ってもらった。
昨年、関東リーグ1部昇格・インカレ出場を果たした、ホッケー部女子。「勝負の年」にチームを率いる新主将の、「今・ここ」にいる理由と「これから」。
とにかく、勝てるチームをつくりたい。主将の抱負を、三浦は力強く言い放った。その言葉の裏には、昨年の部の満足できない成績があった。
早稲田スポーツは「箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝)」で新世紀の幕が上がる…。その舞台に上がる一人の選手がいる。そのオトコの名は原田正彦、人間科学部の3年生だ。
■ラグビー■ 松本兼助(早稲田大学ラグビー蹴球部) #1 2 3 4 [12/3]
・・・早稲田へのあこがれ、夢、仲間の存在、たび重なるケガにも負けずに励んできた練習。松本はまた、確固たる役目と自信をもって、大変でも楽しい大学最後のシーズンを戦っている。