何かの雑誌でサッカーを取り扱うと多くの場合、後藤氏の記事が掲載されている。また、後藤氏の扱う題材は海外で取材してきたものも多い。そんな後藤氏のスケジュールはどうなっているのだろうか。実は考えられないほど過密なものだった。
私のスケジュールを振り返ってみましょう
そういうわけで、僕もこの間帰ってきて、何が大変かって今日も眠くてしょうがないんですけど、ちょっとこの1週間の私のスケジュールを振り返ってみましょう。この間の10月29日の夕方にアジアカップの3位決定戦、韓国対中国があって、その後決勝ですね。決勝が現地時間の6時45分から始まって、8時30分くらいに終わるわけですよ。それから表彰式があって、トルシエのインタビューがあって、それが終わったのが午後10時くらい。僕の帰りの飛行機っていうのが、その晩の午前2時15分発でした。その前に11月1日発売の『サッカーマガジン』の「ああいえば、こう蹴る」の記事を書かなければいけない。編集部のほうは現地時間の午前3時までに下さい、と言っているんですけど、その頃はもう飛行機の中ですから、とにかく空港に行くまでに書いちゃわないといけない。午後10時過ぎに記者会見が終わって、タクシーでホテルに行って、大急ぎで40分間で書き上げました。
そういうことをして飛行機に乗って、日本に帰ってきたのが10月31日の朝でした。その日に締め切りがあったのが、11月8日発売の『サッカーマガジン』に載る「ああいえば、こう蹴る」の普通バージョンです。それから11月1日『ストライカー』の連載を集めた本『ちょっとオフサイド』(ストライカー特別編集)の前書きの原稿と、シドニー五輪の総集編みたいなものを、よくわからないですけど出すというところから原稿を頼まれていて、2つ書きました。
それから11月2日は、『AERA』がサッカー特集をやるというので、その締め切りがありました。それから今日11月3日締め切りというのが3つありまして、今日はこの仕事があるんで、やっていられませんから、昨日のうちに終わらせました。
そのうちの1つに、シドニー五輪と今度のアジアカップで双葉社から12月に『トゥルシエとその時代』という本が出ますので、その原稿がありました。本1冊分って大体原稿用紙にすると400字詰め350枚くらい必要なんですが、五輪から帰ってきて1週間日本にいる間にその250枚分くらいを書いておいていったんです。その後アジアカップとそれから将来どうなるのかって話の章を書かなければならないので、昨日はずっと仕事をしていました。それから明日11月4日締め切りっていうのが、天皇杯のプログラムです。それから明日の試合(11月5日ナビスコ杯決勝)を見に行かなければならない。日曜日は少し休みを頂きます。
来週は、11月6日は『TVTaro』と『漫画サンデー』の締め切りがありまして、11月7日に、日刊スポーツの静岡版に連載しているちょっと長めの記事がありますね。それから火曜日と水曜日に新潟で、「日韓SJ会議」というのがありまして、それのシンポジウムとかありまして、7日・8日と新潟に行くわけです。それで9日に帰ってくると、『サッカーマガジン』で高原の記事を書けというのでその締め切りがあります。
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季刊 サッカー批評
発行=双葉社
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それから10日から今度は2週間韓国取材があります。韓国の色々なクラブとか指導者のところに行きましてね、韓国はどうしてこんなに弱くなっちゃったんですか、昔は結構強くて日本にも勝ったじゃありませんか、という質問をしに行く楽しい企画があります(笑)。とにかく非常に疲れています、さすがに今度は本当に疲れていますよ。
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