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――オリンピックの先輩からのいいアドバイスになりますよね。

村主 そうですねー(笑)。

――いつごろからオリンピックを届くものだと意識し始めたのでしょうか。

稲田 小学校のときは夢という感じだったんですけれど、中学校で一気にタイムが伸びた時期がありまして。中1のときに日本新記録を出して、それまでは遠いものだったんですけど、日本新が出せるということは・・という風に考えて。中1くらいからですよね。出たいと思いはじめたのは。

――夢が現実に変わった瞬間というのはどのような感じでしたか。

稲田 そんなに実感はなかったですね。自分の中で満足してしまったというのはありますけど。

村主 来年になったらすごいのかな、と思いますね。今思えば長野の時は「こんなものなのかな」と思ってましたけど。やっぱり報道とかすごかったですし。だから、また来年になればすごいのかな、というのはありますね。でも私自身、オリンピックを目指してはいるけど、スケートがすごく好きでやっているから。「逃した」とかいうのはあっても、最近は、そういうことにあまりしばられない。なんでやってるかと言えば、本当に好きだからやってるのであって。どんなに調子が悪くても、それも自分のスケートの一つだと思うし。いつでも調子がいいわけではないから、いくら調子が悪くても、必ず晴れる日もくると信じてやっているし。だからそこで自分のベストを尽くすことが自分の目標。一番大変なことだと私は思いますね。たとえオリンピックに出られても、納得のできるものができなければ意味なくて。私が大切にしてるのは、きちんとした過程があって、つながって結果が出るのが一番いいと思っているんです。結果だけ出ても意味がないし。過程だけがあっても意味がない。それがつながって初めて、意味があるものだと思うんです。だから、そういう中でオリンピックがあればいいなと思います。そこで出たからといってオッケーではないんです。自分のベストが出せるように、今頑張っているんです。

 

 

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